週1回精神分析的サイコセラピー──実践から考える
編著者 髙野 晶・山崎孝明 編著 出版年月 2024年11月 ISBN 978-4-86616-210-2 判型 A5判並製 ページ数 272 定価 3,900円(+税)
内容紹介
多くの臨床家の知見と工夫に満ちた本書は,「週1回」の精神分析的サイコセラピーの堅実な背景をもとにした,「週1回」の現在の到達点である。 「精神分析」は,週に4回以上と定義されることが多い。そのため,多くの精神分析的実践は現実には週に1回という設定で行われているにもかかわらず,「週1回」は精神分析「ではない」何かとして扱われてきた。だが,わが国における「週1回」の精神分析的サイコセラピーの歴史は長く,その実践は肥沃な蓄積を築いてきている。 その蓄積を土壌として現実的な選択肢としての「週1回」の力を示す本書は,精神分析的な志向をもつセラピストをばかりではなく,多くのサイコセラピストの必読の一冊となるものである。
主な目次
主な目次
第Ⅰ部 総 論 第1章 「週1回」とは何か 山崎孝明
第Ⅱ部 技法論 第2章 週1回の精神分析的精神療法におけるhere and nowの解釈について 岡田暁宜 第3章 精神分析的精神療法における振動──Strachey概念の重要性と,その現代的意味付け 縄田秀幸 第4章 関係性以前の接触のインパクト──週1回セラピーにおける重要性 藤山直樹 第5章 週1回の精神分析的心理療法における転移の醸成──変容性解釈の第一段階再考 山崎孝明
第Ⅲ部 設定論 第6章 対面法と寝椅子,そして対面法 髙野 晶 第7章 週1回の精神分析的心理療法におけるカウチ使用に関する一考察 山崎孝明 第8章 背面椅子式自由連想法を考える 尹 成秀 第9章 A-Tスプリットはアップデートできるか 髙野 晶
第Ⅳ部 それぞれの領域における「週1回」の実践 第10章 学生相談における「週1回」セラピー 飯島みどり 第11章 開業における週1回精神分析的セラピー──傷つきのなかで生命感が蘇るプロセス 日下紀子 第12章 医療における週1回スピリットと技法 髙野 晶 第13章 精神科クリニックにおける週1回セラピー──週1回一般外来と週1回精神分析的精神療法 若松亜矢
第Ⅴ部 週1回の「精神分析的」を考える 第14章 無意識の思考をたどること 鈴木智美 第15章 週1回セラピーの中で亡霊を見ようとすること 関真粧美 第16章 週1回の精神分析的心理療法空間に漂う日常性と時間 髙橋靖恵 第17章 POSTを通じて考える週1回における「精神分析的」 山口貴史
まえがき
本書は,『週一回サイコセラピー序説』(2017,創元社)を受けて編まれた,いわば続編であり,序説の次に来る本編であるともいえる。ここでは,本書が編まれることになった経緯について記してみたい。
日本の精神分析の歴史を考えるうえで欠かせないできごとに,アムステルダム・ショックがある。1993年に発生した,日本精神分析協会における訓練がIPA(International Psychoanalytical Association;国際精神分析学会)の求める基準を満たしていなかったことが発覚し,IPAから是正を求められた事件である。 古澤平作らが精神分析を輸入して以来,日本では長く「週1回」は精神分析と近似のものとして扱われてきており,少なくとも両者に断絶があるとは考えられていなかった。そこに,ある種の「外圧」がかかり,「週1回」は精神分析ではないことが突きつけられることとなったのである。私見では,それがトラウマとなり,日本の精神分析業界では「本物」「贋物」についてコンプレックスを抱えることになった。ゆえに爾来,業界は「週4回」の「精神分析」をなんとか根づかせようと苦心してきた。その結果,「週1回」は等閑視されることとなった。 そうした情勢に変化の兆しがあったのが,2010年前後である。「週4回」と比較してではなく,「週1回」そのものを論じようという機運が高まった。長らく日陰者であった「週1回」に,ようやく日の目が当たったのである。『序説』は,そうした歴史の流れの中で編まれた。当時,「週1回」は精神分析学会におけるホットトピックであった。 だが,時の流れは速い。今や,「週1回も面接できない」「枠は30分です」「そもそも個室がありません」といった環境で働く援助職も多い。精神分析学会にて,大会発表においても,『精神分析研究』誌においても,「応用」というジャンルが新設されたことはその変化の象徴である。私自身,そうした変化に呼応して,昨年には『精神分析的サポーティブセラピー(POST)入門』を共著で上梓したばかりだ。「週1回」は,もはや旬とは言えないのかもしれない。 だがしかし,個々の臨床には旬も何もない。社会の変化にキャッチアップすることも重要だが,社会の変化に流されずに,患者にとって有用な選択肢を示すことも,私たちに求められる能力である。数として減少傾向にあるのは事実だろうが,今でもやはり「週1回」の臨床が津々浦々で営まれていることは間違いない。それは,「週1回」はやはり臨床的に意義がある設定だからである(むろん,吟味されずに慣習的に「週1回」が行われていることが皆無だと言う気はないが)。さらに言えば,学問的には「週1回」の価値や意義,適用や限界などは,いまだ探求されつくしてなどいない。『序説』という名が示すように,その作業はまさに緒に就いたばかり,というところだろう。 そうであるからには,「週1回」について,『序説』どまりで終わらせるわけにはいかない。『序説』は精神分析家の北山が監修し,精神分析的精神療法家の髙野が編集したものであった。そのまえがきで,髙野は以下のように述べている。
本書はタイトルに“序説”と名づけられています。この後にくる本論を予告する,というよりは,週一回のセラピーに関する論考が今後発展していくことを予見して,という意味合いです。そのような読者の方々への期待を最後に投げかけて,まえがきとします。
その後,「週1回」にまつわる論文がいくつか著されたことに鑑みれば,この「予見」は一定正しかったと言える。しかし,上で述べたように,日本社会の余力のなさもあり,今その火が消えかかっていることは否めない。 私は『序説』が発行されたとき,「読者の方々」の一人であった。『序説』をはじめとした「週1回」についての論考から多くを学び,そして自身でも「週1回」についての論文をいくつかものした。そうやって形にすることで,個人的には,「週1回」についての学問的探究は,ひと区切りついたように感じていた。 そんな折,2023年の精神分析的心理療法フォーラムにおいて,「週1回と介入技法」というタイトルのセミナー講師依頼を受けた。荷が重いと思った私は,私が「『週1回』の専門家」と目している髙野に,ともに講師を務めてもらえないかと依頼し,快諾を得た。 セミナー終了後,大仕事を終えたと思って一息ついている私に,髙野は「週1回」について,「『序説』の次」を考えてもよいのではないか,と示唆した。そのとき,私の脳裏に,先ほど引用したまえがきの一節が蘇った。 私は現在,日本精神分析協会精神療法家センター(日本精神分析協会の設けた精神分析的精神療法家育成コースで養成された精神療法家・訓練途上の研修生・精神分析的精神療法に関心をもつ精神分析家によって構成され,精神分的精神療法の研鑽と研究を行う組織)の研修生である。精神分析的精神療法家の資格を持っているわけではないし,心理療法家としてまだ中堅にさしかかったくらいのキャリアしか備えていない。一方,髙野は長年の間片手で数えられるほどしか存在しなかった「日本精神分析協会認定精神分析的精神療法家」であり続け,2024年現在はセンター長を務めている。髙野をはじめとした「週1回」を専門とする先達から学ぶことはまだいくらもあるが,いつまでも彼女たちに頼っているわけにもいかない。より若い世代が,上の世代が積み上げてきたものを引き継がねばならない。そう思った私は,「『序説』の次」を編まねばならぬ,と強く感じた。 そこからは早く,間を置かずにセンターの精神療法家,研修生,センター会員の分析家および会員外の分析家に執筆を依頼し,多くの執筆者の快諾を得た。そうしてできあがったのが本書である。 * 内容を紹介しておこう。本書は全Ⅴ部から成っている。 Ⅰ部は総論である。なぜ「週1回」なのかについて,これまで日本で積み上げられてきた研究をレビューし,あえて今「週1回」を問う意義について論じている。「週1回」は私たち治療者側のアイデンティティに関わるがゆえに重視されてきたところがある。それを断罪することは容易だが,生まれるものは何もないだろう。むしろ,そうした事態を引き起こした力動を丹念にふりかえることで,治療者側のアイデンティティ・ポリティクスとしてではなく,患者に提供する治療選択肢の質を向上させるといった方向から「週1回」研究を行うことが可能になることが論じられる。 Ⅱ部は技法論である。Ⅰ部で述べたように,日本の精神分析コミュニティは,「精神分析的」であることに拘りを持たざるを得ない歴史的経緯が存在した。その結果のひとつが,転移解釈の特権性の重視であった。しかし,藤山による「平行移動仮説」の提唱を経て,「週1回」に「週4回」の技法論を「平行移動」してもよい結果を生まないのではないだろうか,「週1回」には「週1回」特有の技法論があり,それを追求していくべきではないか,という問題意識が醸成されていった。ここに収められた論考は,それへの応答であるといえる。 Ⅲ部は,設定論である。「週1回」という設定のポテンシャルを最大限に引き出すために,対面法,背面法,カウチ,といった患者-治療者の位置取りがいかように治療過程に影響するかが論じられる。また,「週1回」は「週4回」と比して抱える力が弱いとされるが,そのなかでも精神分析的セラピーを有効に行うための設定,すなわちA-Tスプリットについても現代的に考察される。 Ⅳ部では,領域別の「週1回」の実践が描き出される。「週1回」は汎用性が高い。ゆえにいろいろな場で採用される設定である。しかし,どこでも同じように「週1回」のセラピーが行われるわけではない。ここでは,そうした領域ごとの「週1回」らしさを感じ取ってもらえるだろう。 Ⅴ部には,「週1回」から(における)「精神分析的」を考える論考が収められている。「精神分析は精神分析である」という言説を耳にすることは少なくない。「精神分析を受けたり,実践したことのない人に精神分析は語れない」。これもまた,まれならず遭遇する文章である。だがしかし,本当にそうなのだろうか。たしかに語れることに制限はあるかもしれないが,口を噤む必要はないのではないか。ここでは,精神分析家であるか否かや,その実践がいわゆる「精神分析的」であるか否かを問わず,フラットに「精神分析的」を問い直すという野心的な試みが著者たちによって挑まれている。 * 「週1回」を論じることは,治療者側のアイデンティティ・ポリティクスにすぎないのだろうか。これまでの「週1回」研究に対し,そのような批判が生じるのは一定程度,理解できるように思う。しかし,本書はそこから歩を一歩進めている。頁を繰れば,「週1回」という設定が,実のある,患者にとって有用かつ必要な選択肢なのだ,ということが伝わるものになっていると思う。 『序説』における髙野の投げかけに数年の時を経て私が応じたように,私も本書がさらなる「週1回」研究を生むことを期待している。読者諸氏には,彼岸のことではなく,此岸のこととして「週1回」について考え,さらにはその考えを論文や書籍の形で著していってもらえれば,編者を務めた甲斐があったというものである。数年後にさらなる「次」を目にする未来を夢見て,まえがきとしたい。 2024年10月 山崎孝明
あとがき
あっという間だったと思う。 2016年祇園祭の頃の京都で,北山修率いる日本語臨床フォーラム・コンベンションが週1回精神療法をテーマとして行われた。それを起点にしてすぐさま北山は書籍化の設定を拵え,私は背中を押され,あれよあれよという間に『週一回サイコセラピー序説』を作ることになった。 その後もいろいろな形で週1回は論じられてきた。自分の役目を終えた気になっていたところ,山崎の依頼により2023年のやはり祇園祭の頃に京都に赴いた。その時,ふと次なる週1回の論文集の着想が湧き,その発想を山崎に伝えた。その後はまえがきに記された通りである。 こうしてみると,「週1」出版プロジェクトは京都の極暑に焚き付けられてきたように思える。あるいは,蓄えられてきた燃料がまさに発火するポイントがそこにあるべくしてあったとも言えるだろう。 週1回精神分析的サイコセラピーは日本における精神分析との曖昧な関係の時代から急速に訪れた峻別の時代を経て,今はその独自性を探求する時代に入っている。本書に収められた論文は,それぞれの角度から体験に根ざした十分なオリジナリティを持ってそのテーマに迫っている。その特徴を一つ挙げるなら,「here and now」から「there and then」まで,そして「あなたと私」から「あなたと誰か(たち)」までを視野に収め,セラピーの目的を自覚しながらの臨床の場から生まれた,と言うことだろう。 私が個人的に見る限り,日本の精神分析的領域においては,1980年代は自我心理学が基本であり中核であり,多種の介入技法を用いつつ転移解釈に結実させるといった風潮であった。その後対象関係論が浸透し席巻し,それが本書でも随所に出てくるhere and nowの転移解釈が頂上に君臨するかのような了解を作り出したように見える。以上はあくまでも私見であるが,国際的にも,here and nowだけに閉じこもることへの議論はある。何かが絶対化されるとその本質が損なわれることは分野を問わず起こる。人のこころは,「絶対」に惹かれがちなものであるが,それを疑い,揺らぎ続けるのが精神分析的なあり方ではなかったか。 だから,精神分析的な臨床家には,戸惑い彷徨い続けてほしいと思う。その行程での拾い物を身近な仲間,そしてまだ見ぬ仲間に届けてほしい。それらテーマを持って書かれたものを集めた論文集(collected papers on~)を作るのは,小さなアーカイブを作ることになるのだと思う。個々の論文としての力とはまた異なる,束になった時の力や手に取りやすさ,包括的に結ぶ像などが確実にあると感じた。 日本精神分析協会(JPS; Japan Psychoanalytic Society)には精神分析家を養成するコースだけでなく,30年近くの歴史を持つ精神分析的精神療法家コースがある。2019年に精神分析的精神療法家センターという組織が設けられ,それは所属する精神療法家や研修生および関心を持つ精神分析家が集い考える場となりつつある。今回はそこに所属する臨床家を中心に論文を集めた。 今回間に合わなかったが,週1回をめぐる論考を依頼したい書き手や,収めたい論文はまだまだある。さらに時の経過によって新たな見方,見え方も生まれよう。 週1回のセラピー(45~50分)は現実的に難しいようだ,と言う声は私の耳にも間接的に時々入る。それがどういう実態なのか私は十分には知り得ていない。しかしそもそも,臨床家のほとんどの持ち枠が週1回を切らない頻度で十分な時間が確保された,かつある程度内省が可能なケースで満たされる,ということは限られた場合を除けば現実的にはあまりないと私は思う。臨床経済の要素,患者/クライエントの要素,社会的要素など様々なものの影響を受ける。もちろんセラピストの習熟度もある。しかしセラピストにとって自身の持つ臨床実践の時間の一部分であっても,週1回のセラピーを実直に手懸けることができれば,患者/クライエントにも,セラピストにも恩恵がある。セラピストが行うその他の臨床実践に対してもおそらく恩恵がある。精神分析的な素養は,専門科目としてだけではなく基礎科目として位置づけられるという主張もある。その精神分析的な素養を培うための最も小さな単位は週1回である。週1回の精神分析的セラピーが臨床家の持ち時間の中の何処かに担保され,考えられ続けるかどうか,と言う観点に立ってみよう。ずっと考えなくても,ある時期そのような体験を持てることにも意義がある。そういった基礎的な存在としての週1回の意義は,時を経ても変わりはないのではないかと思う。
本書は,私の予想をずいぶん超えた山崎孝明先生の韋駄天振りによって,勢いと実のあるものになった。幾度にもわたる原稿の往復に応じていただいた著者各位の綿密な仕事は,ここに対話を読者に開くことになる。そして,それらを現のものとする場を準備し,見守ってくださった遠見書房の山内俊介さんに感謝したい。 もうひとり,『序説』と精神療法家センターの構想の生みの親である北山修先生にまずはこの成果をお届けしたい。 最後に,週1回サイコセラピー探求に関するバトンがまた継がれ刷新されることを期待し,私が初めて見る景色もそこには描かれているのではないかと俟つところ大である,と記しておこう。 2024年10月 髙野 晶
編著者紹介・執筆者一覧
編著者略歴 髙野 晶(たかの・あき) 1981年,京都府立医科大学卒業。東京大学心療内科,公立昭和病院心身医療科,東京国際大学人間社会学部,心の杜・新宿クリニック勤務を経て,2021年より北参道こころの診療所にて精神科・心療内科外来と精神療法に従事。 日本精神分協会精神分的精神療法家/現・日本精神分協会精神分的精神療法家センター長。日本精神分学会精神分的精神療法医・スーパーバイザー。 著書:『治療者のための女性のうつ病ガイドブック』(金剛出版,分担執筆,2010),『精神分析から見た成人の自閉スペクトラム』(誠信書房,分担執筆,2016),『週1回サイコセラピー序説─精神分析からの贈り物』(創元社,共編,2017),『精神療法の饗宴─Japan Psychotherapy Weekへの招待』(誠信書房,分担執筆,2019)ほか。
山崎孝明(やまざき・たかあき) 2008年,上智大学文学部心理学科卒業。2019年,上智大学博士後期課程総合人間科学研究科心理学専攻修了。2020年,日本精神分析学会奨励賞山村賞受賞。現在,こども・思春期メンタルクリニック。 博士(心理学),臨床心理士·公認心理師。 著訳書:『精神分析の歩き方』(金剛出版,2021),『精神分析的サポーティブセラピー(POST)入門』(金剛出版,分担執筆,2023),『当事者と専門家─心理臨床学を更新する』(金剛出版,2024),『フロイト技法論集』(岩崎学術出版社,共訳,2014),『フロイト症例論集2─ラットマンとウルフマン』(岩崎学術出版版社,共訳,2017)ほか。
著者一覧(50音順) 飯島みどり(いいじま・みどり)慶應義塾大学学生相談室/南青山心理相談室 岡田暁宜(おかだ・あきよし)名古屋大学総合保健体育科学センター/同大学院医学系研究科精神病理学・精神療法学 日下紀子(くさか・のりこ)ノートルダム清心女子大学人間生活学部児童学科/関西心理センター 鈴木智美(すずき・ともみ)精神分析キャビネ/可也病院 関真粧美(せき・まさみ)南青山心理相談室 髙橋靖恵(たかはし・やすえ)京都大学大学院教育学研究科臨床心理学講座/油山病院 縄田秀幸(なわた・ひでゆき)油山病院 藤山直樹(ふじやま・なおき)個人開業 山口貴史(やまぐち・たかし)愛育クリニック/あざみ野心理オフィス 尹 成秀(ゆん・そんす)帝京大学文学部心理学科/南青山心理相談室 若松亜矢(わかまつ・あや)LUNA大曽根心療科/仁大病院
新刊案内
「遠見書房」の書籍は,こちらでも購入可能です。
最寄りの書店がご不便、あるいはネット書店で在庫がない場合、小社の直販サービスのサイト「遠見書房⭐︎書店 」からご購入ください(store.jpというECサービスを利用しています)。商品は在庫のあるものはほとんど掲載しています。