森俊夫ブリーフセラピー文庫①心理療法の本質を語る──ミルトン・エリクソンにはなれないけれど

森俊夫ブリーフセラピー文庫①
心理療法の本質を語る──ミルトン・エリクソンにはなれないけれど

森 俊夫・黒沢幸子著

定価2,200円(+税)、220頁、四六判、並製
C3011 ISBN978-4-904536-93-3

治療の場合に,短期を目指さないのはありえない。
だって,辛い状態から一日でも早く脱せないと可哀想でしょ?

万年 東大医学部助教にして元役者,ブリーフセラピー系心理士にして吉祥寺に日本全国から人が集まるKIDSカウンセリングシステムを立ち上げた森俊夫 は,2015年3月に57歳で永眠した。自らの死を知った森は,心理療法に関する自分なりの考えを残したいと考え,盟友 黒沢幸子を聴き手に,心理療法や対人援助に関する本質について話を始める。
ミルトン・エリクソン,ソリューション・フォーカスト・アプ ローチ,森流気質論など独特のアイデアと感性で,最良の効果的なセラピーを実践できた要因は何か。治癒率95%,平均治療回数2.0回以下という驚異的な 臨床センスをもつ森俊夫の心理面接のエッセンスを語る,ユーモアと真剣さに満ちた一冊。

関連本,
『DVDでわかる 家族面接のコツ(3)P循環・N循環編』(東 豊 著・出演 解説 黒沢幸子・森 俊夫)
『森俊夫ブリーフセラピー文庫②効果的な心理面接のために──サイコセラピーをめぐる対話集』(森俊夫ほか著)

◆ 本書の詳しい内容


おもな目次

第1章 ブリーフセラピーにおける演劇の利用
I 発想/II 観察/III 治療の演出

第2章 心理療法の本質に迫るキーワード
1 KIDS/2 サイコセラピーとその評価/3 コミュニティ臨床/コミュニティ・サービスとしての医療・福祉・心理・教育/研修業務の開業をする/心理療法と金

第3章 ミルトン・エリクソンとブリーフセラピー
エリクソン・クラブ/精神分析からブリーフへ/ヘイリーの『戦略的心理療法』とエリクソン/エポックメイキングとなったケース

第4章 ソリューションを語る
セラピストになるまで/ソリューション(解決志向)の話/それでもソリューション/未来時間/3つの水準

第5章 心理療法の本質について
治療とカウンセリング/治療構造/面接間隔/治療の終わり/初回面接

第6章 森先生にいろいろと聞いてみる
外在化について/インカムとコストについて/センター構想/ひっかける言葉/外在化のコツ/森臨床の陪席経験から/未来時間のイメージをつくる/ソリューションを広げる/残しておくといいもの/自分を鍛える

ほか


はじめに
心理療法というものにかかわって、三〇数年になります。こういう人生だったのでしょう、がんになり、余命いくばくもない状態となりました。実は、二〇一五年の一年をかけて、本のタイトルにある「心理療法の本質を語る」というテーマで研修会をじっくりとやろうと企画していました。心理療法家としていろいろと考えてきたことの集大成というか、お披露目というか。そう考えていたんですが、現状がこうなり、研修会は無理ですので、こういう形でお話をしようと考えました。
心理療法家には、キーワードがいくつもあります。臨床を行う上でのキーワードですね。私にもいくつかキーワードがあります。「ミルトン・エリクソン」「解決志向ブリーフセラピー(ソリューション)」「コミュニティ臨床」「評価」……(専門用語ではありませんが、「KIDS」というのも、私にとっては大事なキーワードの一つです)。でも実は、キーワードと言っていいのかどうかわかりませんが、「演劇」が私の最大のリソースだと思っています。
こうしたキーワードをもとにしながら、心理療法の本質を考えていくつもりです。
私の話が通じにくいところは、ところどころ、黒沢幸子先生や編集者の方にツッコミを入れてもらいながら、諭を進めていけたらと思います。たぶん、たくさん脱線しながらね。
まずは幕開け、オープニング・リマークス(開会の辞)として、私の最大のリソースを利用して、「ブリーフセラピーにおける演劇の活用」(一九九四)の再掲からはじまり、はじまり。

森 俊夫


あとがき

未来は思った通りになる。思わない未来は実現しない。よほどの不可抗力がない限り、その通りに達成する。人は少々のことが起こったって軌道修正して目的に向かうから。(本文より)

二〇一五年三月十七日、森先生は五十七歳で亡くなられました。食道がんでした。
病気の発見から半年足らずの日々でした。
森先生から、桜を見るのは厳しいかもしれないとの告知内容を打ち明けられたとき、私は「で、どうしたい?   何ができる?」と尋ねました。まったくこの期に及んで解決志向! 森先生は、心理療法について、その本質や今の到達点など、私を含む「同志」と語り合い、それを本にしたいと希望されました。ふむ、面白そうじゃない!? 森先生はそれを自ら『森俊夫・生前追悼対談集』と銘打ちました。まったく、森先生らしいノリです。私は早速、遠見書房の編集部に企画のご相談をし、このように本としてほんとに形にすることができました。
病気は確かに不可抗力だったに違いないけれど、森先生は、エリクソニアンやブリーフセラピー関連の「同志」というべき心理療法家や精神科医らと切磋琢磨し合って、ブリーフセラピストとしてその一生を全うするという、ご自身が描き続けた未来を、最期まで色褪せることなく達成されました。そう、多くのキャストを巻き込み、ピカイチの心理療法の俳優達を登場させ、私を演出家に据え置き、遠見書房さんはプロデューサーかな? そうやって森先生は望み通りの最期の舞台を作り上げられたと思います。森先生の告別式は、本来なら森先生といつものようにご一緒に行うはずだったKIDS春期研修「解決志向ブリーフセラピー初級」の初日と重なりました。ピン芸人での舞台を余儀なくされた私に、森先生の奥様からは「パパのラストステージです。いい旅立ちになるように家族で盛り上げます」とメールをいただき、最期は最愛の奥様とご家族の演出で舞台の幕を閉じられました。これもまた、森先生の思った未来だったでしょう。

さて、この本の中身のことをお伝えしなくてはなりません。
この本は、森俊夫先生へのインタビューをもとに書き起こし、再構成をしたものです。本書の第1章から5章までは、森先生が入院されていた杏林大学病院の面会室を使って、私がインタビュアーとなり、遠見書房編集部が進行をする形で、五日間、合計で十時間ほどの対話をしたものを元にしています。二〇一四年の十二月から、翌年の一月中旬の期間です。第6章は、二〇一五年一月二十五日にKIDSで行われた やまき心理臨床オフィス主催のワークショップを元にしたものです。

二〇一四年の十一月ごろ、遠見書房から刊行される東豊先生の『DVDでわかる家族面接のコツ③』の編集作業が行われており、ここに森先生と私との解説を入れる計画で、その校正刷を編集部とやりとりしていました。その中で私から森先生の病状が芳しくないことをお伝えし、この企画のご相談をして、深いご理解をいただき、実現への第一歩が踏み出されました。
二〇一四年の十一月末以来、森先生はがんの部位のために飲食ができず、栄養点滴を受けている状態で、高熱を繰り返したその年末頃は見た目にも大変具合が悪そうでした。
ところが、企画がスタートし、本書に掲載した自分の臨床観を語るインタビューとともに、「同志」というべきブリーフセラピー関連の方々との対談が始まると、なんとだんだんと復調されてきたのです。顔色もよくなり、体調もよくなってきたことで、一月の中旬にステント手術をし、食道のところにステンレス製の管をつけ、多少の飲食ができるようになりました。
そして一月の終わりには退院が叶いました。奇跡のような復活でした。痛みのコントロールをしつつ、短時間のワークショップを行ない、座談会をし、旧知の人びとと会い、ご家族と旅行までもされました。三月以降、けっこうヒマかもしれない、と森先生は仰っていました。インタビューをした音源はテープ起こしをされ、編集者の手を経て原稿になっていました。一度読んだが、あれこれ手を入れたい箇所がある。だから、その原稿を自分で改稿することにする、と森先生は宣言されました。二月の半ばくらいのことです。
三月五日の夕方、KIDSで森先生の勉強会が行われました。声は枯れ、顔色も悪くなっていました。二月の半ばまではお元気そうに振る舞われていましたが、病いは確実に進行していました。これが最後の森先生の研修会となり、三月八日に緊急入院をされ、それから一〇日もしないうちに旅立っていかれました。結局、この原稿を書き直すことはできませんでした。

このようなわけで、この原稿は森先生の目を通ってはいるものの、森先生に推敲をしていただくことは叶いませんでした。校正に関しては、編集部に目を通していただき、私に委ねられました。東京大学医学部保健学科の内部事情に関しては、門下生として森先生から多くを学ばれた長沼葉月先生(首都大学東京)に伺っています。また、本書にもその名前がたびたび上がっていますが、菊池安希子先生(国立精神・神経医療研究センター/精神保健研究所・司法精神医学研究部)には、森先生のKIDS以前の情報などを伺いました。一部不明な箇所には、元永拓郎先生(帝京大学大学院)にもご教示いただきました。
第5章に関しては、やまき心理臨床オフィスの主宰にして駒澤大学教授の八巻秀先生が司会を行っています。このワークショップでは、森先生にゆかりのある臨床家の方が集まりました。

奇縁なのか、偶然なのか、森先生のご自宅も、KIDSのある吉祥寺も、遠見書房の所在地も、編集者のご自宅も、そして私の自宅も、森先生の入院していた杏林大学付属病院から、半径数キロの範囲にあり、そのおかげで延べ五〇時間以上のインタビューや対談の収録が実現しました。対談では、児島達美、白木孝二、田中ひな子、遠山宜哉、中島央、西川公平、東豊、山田秀世、吉川悟といったこれ以上にない同志の先生方に手弁当で集まっていただきました。また、森先生の東大保健学科のメンバーにも多く集まっていただき、こちらは半日ほどをかけて座談会を収録しました。本当はもう一人、吉川吉美先生もいらしてくださる予定だったのですが、森先生の体調不良とか、緊急入院とかで、幾度も流れてしまいました。森先生も動作法の鬼才との対話を楽しみにしていただけに残念でした。
これらの錚々たるメンバーたちと森先生が心理療法、対人援助について語り合ったものは、『森俊夫ブリーフセラピー文庫』と題したシリーズの第二巻、第三巻として刊行予定です。

第一巻のサブタイトル、「ミルトン・エリクソンにはなれないけど」は、本書インタビュー中に呟かれた言葉です。そのあと、「でも、森俊夫にはなれるじゃんって思ったの」と続きます。

本書は、遠見書房 山内社長の言葉に尽くしがたいほどのご理解とご尽力があって実現することができました。また、インタビューや座談会に協力してくださった先生方に、森先生の分も含め、深くお礼申し上げます。さらに、この場を借りて、このような大変な状況のなかを支え続けてくれたKIDSのスタッフ、ならびに関係者にも心より感謝申し上げます。
最後に、森先生の限りある貴重な時間を分けてくださった奥様と、二人のお子さまにも感謝の念でいっぱいです。誠にありがとうございました。

最後の最後に、この原稿からはカットされた一コマを。

黒沢 来世のテーマは何ですか?
森 来世のテーマは同じことをやるのではなくて、来世は残るものをやりたい。だから建築家だね。建築はわかりやすい。残るからね。次は残るものをやりたいのよ。はかなく消えるものをやってきたからね。演劇だって、心理療法だって。

じゃ、また、会えたら来世で!?    合掌

平成27年 葉月
黒沢幸子


著者略歴

森 俊夫(もり・としお)
東京大学大学院医学系研究科精神保健学分野助教。KIDSカウンセリング・システム スーパーバイザー。1981年 東京大学医学部保健学科卒業。1988年 東京大学大学院医学系研究科保健学専攻(精神衛生学)博士課程修了後,現職。博士(保健学),臨床心理士。専門はコミュニティ・メンタルヘルス,ブリーフセラピー,発達障害への対応。2015年逝去

黒沢幸子(くろさわ・さちこ)
目白大学人間学部心理カウンセリング学科/同大学院心理学研究科臨床心理学専攻教授。KIDSカウンセリング・システム チーフコンサルタント。1983年 上智大学大学院文学研究科教育学専攻心理学コース博士前期課程修了。臨床心理士。専門はスクールカウンセリング,思春期青年期への心理臨床,保護者支援,解決志向ブリーフセラピー


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