協働するナラティヴ

協働するナラティヴ
──グーリシャンとアンダーソンによる論文 「言語システムとしてのヒューマンシステム」

ハーレーン・アンダーソン/ハロルド・グーリシャン/野村直樹 著
野村直樹 訳

定価1,800円(+税)、152頁、四六版、並製
C3011 ISBN978-4-904536-56-8

ナラティヴ・セラピーの始まりは,この論文からだった!

1988年,世界の心理療法業界をリードする雑誌「ファミリー・プロセス」誌に1つの論文が掲載された。
「言語システムとしてのヒューマンシステム──臨床理論発展に向けてのいくつかの理念」。
著者は,ハーレーン・アンダーソンと,天才的臨床家ハロルド・グーリシャン。無知の姿勢,ナラティヴ,コラボレイティヴ……新しいアイデアに溢れたこの論文は,現在の心理療法に絶大なる影響を与えることになる。
この論文の全訳と,共同研究者であったアンダーソンと野村とのやりとりを踏まえ,1冊の本も残さなかったグーリシャンの,アイデアの核心を探る。

本書の詳しい内容


おもな目次

第1章
助   走(野村直樹著)

第2章
言語システムとしてのヒューマンシステム──臨床理論発展に向けてのいくつかの理念(アンダーソン&グーリシャン著/野村直樹訳)

第3章
Q&A ハーレーン・アンダーソンに聞く(アンダーソン+野村 著(野村 訳)

第4章
ハリー・グーリシャンと仲間たち(野村著)


日本の読者のみなさま
ハーレーン・アンダーソン

こ の本に収録した私たちの論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」を紹介できることを大変うれしく思います。この論文を紹介するのは、長年 親しくしている友人を紹介するのに似ています。この友人に出会った頃、私はどう理解していたのか、そして再会して今度はどのように理解するのだろうか、な どと会うたびに考えます。それは新たな発見と創造へのわくわく感でもあります。同時にこの論文の紹介は、私自身と恩師であり友でもあった亡きハリー・グー リシャン(Harold Goolishian)その人の紹介も意味しています。
論文の内容について、いつかみなさんと意見交換できたらいいと思っています。この内容は新たな思考を組み立てる道具になるかと思いますが、職業上の活動に 実際使えるものであったらなおさらうれしいのです。日々の臨床、福祉、教育、支援等の活動を考える上で、新たに知識の一部となり、その知識が仕事の幅を広 げてくれる可能性につながることを願ってやみません。
ハリー・グーリシャンと私の仕事は、日本では一九九七年『ナラティヴ・セラピー:社会構成主義の実践』(野口裕二・野村直樹訳、金剛出版)の中で紹介され ました。その中に「無知の姿勢」という私たち独自の考え方が説明されています。また、二〇〇一年の『会話・言語・そして可能性』(野村直樹ほか訳、金剛出 版)は、私がそれまでの理論と実践を包括的にまとめた単行本です。この十年のあいだ私はほとんど毎年日本を訪れるようになりました。臨床領域やビジネス・ セクターから誘いを受けるようになったからです。日本の方々が私の仕事への高い関心を示してくださることにはいつも感謝しています。
これを書きながら思い出していました。それは、私が日本に来た最初の頃、あるパネルに招待された時のことです。隣に座った精神科医が私に質問しました、 「すぐれたセラピストとしての条件とは何ですか?」と。そのとき私は、「それはマナーのよさ」と答えました。それは彼には生意気に響いたかもしれません。 でも、これは彼のまじめな質問に対する私のまじめな答えだったのです。それは今日でも変わりません。創造的な会話と発展性のある関係へと他者をいざなうた めに最も必要なことは「よいマナー」であることを私はいつも強調しています。
最近私のところへ日本から何人かの臨床家が勉強に来てくれるようになりました。テキサスにある私たちのヒューストン・ガルヴェストン・インスティテュート (Houston Galveston Institute)や毎年行われるメキシコでの夏のインターナショナル研修会などです。それらの経験やつながりが今の私の仕事の発展に寄与し、私自身の 人間的成長にも助けになったことを忘れないでおこうと思います。
私は仕事上での相互協力(colleagueship)や友情をとても大切なものに感じています。今回、私と私の共著者そして遠見書房といっしょに仕事ができたことを心から感謝したいと思います。


あとがき

ぼくは前章を書き終えてからテキサス州ガルヴェストンに行った。ハリー・グーリシャンが長年暮らしたその地を見てからでないと「あとがき」を書きたくな かったのだ(かっこつけた話だ)。幸いナラティヴ、コラボレイティヴ、ソリューションというアメリカの家族療法を代表する三つのグループが「カンヴァセー ション・フェス 2013」と称してヒューストン郊外でカンファレンスを開いていた。それもぼくをテキサスに行きやすくした。

ガルヴェス トンはヒューストンから南東に五〇マイル(八〇キロ)ほどに位置するメキシコ湾に面した観光地である。フリーウェイを走っていくので陸続 きに見えるが、実は島である。大型客船の停泊する港があり、島の周りには砂浜(ビーチ)がたくさんある。三月、週末のビーチはすでに人であふれていた。

ハリー・グーリシャンの開いたガルヴェストン・ファミリー・インスティテュートのあった場所は、市内の目抜き通りにある古い美しい建物の二階だった。当時一階にデリがあったようだが、今はない。通りは観光客向けの土産物店、軽食堂、Tシャツの店などが並ぶ。ガルヴェストンはテキサスのイメージから 離れている。が、ハリーはガルヴェストンのイメージからまた離れている。彼のもっていた普遍性がこの海辺の観光客の街と一見そぐわない。しかし、それは心 地良いそぐわなさ、とでも言おうか。
ドック(桟橋)があってモーターボートがつながれていたというハリーの住んだ家は、今は取り壊されて芝地になっていた。ただ、そのドックは残っている、あのロブ・ホロウィッツがヒラメを釣り上げたというドックである。そして、やや離れて海に柱で固定された小型のボートがあった。司祭と未亡人とハリーの三人 が灰をかぶったというあのボートであろう。そこは、メキシコ湾の反対側に位置してガルヴェストン水道を隔ててペリカン・アイランドが見渡せる住宅地の一角 である。その日はいくぶん靄がかかっていた。

ヒューストンでのカンファレンスの開催中にぼくはモンティ・ボベル(Monte Bobele)本人に会って話を聞くことができた。煙草をやめなかったあのモンティは、現在(煙草をやめて)Our Lady of the Lake Universityの心理学の教授である。彼から、ハリーが小さな飛行機ももっていてそれを操縦して各地に出かけていたことを知らされた。かつてヴァー ジニア・サティアもその飛行機に乗ったそうだ。ハーレーンに聞くと、彼女もまたその飛行機でハリーと各地にワークショプやコンサルテーションに出かけたと いう。
この単発の小型飛行機は順調でない時もあった。ハリーが友人の精神科医、ダン・クレッソンとコンサルテーションに行った帰りのこと。飛行中にエンジン・ト ラブルが起きて激しい揺れに見舞われた。同乗のダンは怖くなった。ハリーは無線でエアポートを呼ぶと状況を説明した。すると管制官はハリーに、「緊急事態 を宣言(declare emergency)しますか?」と聞いてきた。ハリーは、「ノー」と答えた。ダンは驚いた。通信の最後に管制官が再度同じ質問をした。またもハリーは、 「ノー」と言った。その後二人はなんとか無事に着陸を果たしたが、降りてほっとするなり、ダンはハリーに食いついた。「なんだって緊急を宣言しなかったん だ!?」すると、ハリーは言った、「めんどうな書類がいっぱい待ってるんでね!(That’s too much paper work!)」
モンティによると、これはハリーらしい反応の仕方で、同時に社会構成主義の一例でもあるという。緊急事態を宣言したら「緊急事態」が出来上がる。書類書き のめんどう以外にハリーはこのことを知っていた、と。これを聞いて、ぼく自身ふだん「社会構成主義」を大事に神棚に飾ってしまっていたことに気づいた。社 会構成主義はそんな悠長なことではない。それは、?here and now?(いまここ)に対して取る待ったなしの姿勢のはずである。頭でそうとわかっていても、なかなかそれが地に着かない(ハリーは空中だったが)。
「社会構成主義」という言葉もまた誤解されやすいように思う。「社会的やりとりを通してリアリティがつくられる」と言いたいのだから、むしろ「社交的生成」あるいは「社交的生成主義」と呼んだ方が間違いは少ないだろう。

ナラティヴ・セラピーの著作のあるジル・フリードマン(Jill Freedman)とジーン・コームス(Gene Combs)(二人は夫婦である)は、今回ヒューストンでこんな思い出を話してくれた。それは、彼らがデービッド・エプストンをニュージーランドに、マイ ケル・ホワイトをオーストラリアに訪ねた時のことである。エプストンに会うと、彼は「よく書けているよ」と二人の著作を褒めた後、こう言った、「ただそ の?リソース?(資源)という言葉なんだけどね……」と。(人には内に秘められた才能、手腕、実力があって、それをその人のもつ?資源?あるいは?リソー ス?と呼ぶのだが)エプストンは、はっきりと言わないまでも、その言葉に疑問を呈した。
二人はその足でオーストラリアに移動してマイケル・ホワイトにそのことを話すと、マイケルはこう言った。「ぼくらは個人が自己というものをもっていると か、リソースをうちに秘めているとは考えない。自己もリソースもむしろ今ここで創りだしていくもので、この場で発見し育て上げていくものだから」
これを聞いたジル・フリードマンは、一瞬めまいとともに吐き気さえ感じたという。それほどのショックだったのだ。社会構成主義を標榜する者にとってさえそ うである。これはジルひとりを責められない。ぼくもこの話を聞いてショックを受けた(このヒューマンシステムの論文においても、「未だ語られないもの」と の関連で?リソース?という言葉を実際使用している)。
ただ、社会構成主義とは、高台から世の中をながめるような間延びした話ではなかった。?待ったなし?の状況に直面した「いま」に密着した理論だと気づかさ れた。人のもつリソース(実力、才能)は、鉱物資源のように埋蔵されていて、それを掘り起こすものではないのかもしれない。それは、ハリーの着陸のように 「今ここ」をどう創っていくかという緊急事態に対する構えのこと、と言った方がよいだろう。

「おそらく、この“魔法”の秘密は、信頼(trust)にあるんだと思う」、とジーン・コームスは続けた。「つまり、ハリーの言葉がいかに(治療に)効果的だったか、その鍵は、会話とその相手を信頼しきったところにあるんじゃないかな」

当時、ハリーの面接を鏡の向こうから見ていた研修生たちがよく口にしたことがある。それは、「あっ、ハリーがまた「暗い部分」(the dark side)に入っていったぞ」という反応だった。「暗い部分」とは、セラピストがよく避けてとおる問題の否定的側面のことだが、そこには、それをこじ開け ると収拾がつかなくなるという精神科医療の常識的な恐れが働いている。しかし、ハリーの場合、「その中に入っていくと、どういうわけか、不思議にそこから 浮かび上がってきて、希望や新しいアイデアが出てくる。それは会話に対する信頼感のなせる技だと思う」と。ハリーにみる会話への信頼とは何だろう?
研修生になった最初の日、ダイアナ・カールトンは他の研修生も交えてある事例の検討会に参加した。自分が意見を言う番になって、彼女は皆をあっと言わせよ うと持てる知識(発達心理学)をフル稼働して、有無を言わせないとばかり「見事な」分析をしてみせた。「どうよ?!」と言わんばかりの彼女に、ハリーは一 言、「ここではそういう話し方はしない(We don’t talk that way!)」とずばっと言ったそうだ。「私、その時とても傷ついた」と彼女は振り返るが、次の日また研修にもどった。それがなぜだか自然にできたのだとい う。彼女は、「ハリーのことを想い出すとすぐ涙が出てきちゃう」というほどの温かい人である。

ここまでハリー・グーリシャンの姿を追いな がら社会構成主義の具体性について考えてみた。社会構成主義は、「言語(的相互行為)がリアリティをつ くって?いる?」という「静止の状態」ではなく、「言語(的相互行為)がリアリティをつくって?いく?」という今から未来に向けての「動きへの参加」とし て捉えなければ真価は発揮できないだろう。ぼくはその時制を間違え、甘く見ていたことを気づかされた。
そこでこの本をまとめると思われる二つのキーワードに行き着く。それらは、「無知の姿勢」(not-knowing)と「会話への信頼」(trust)で あろう。「あなたはこういう人だから」という固定的な性格判断、「こんなことがあったから」という硬直した歴史認識、「こういう長所があるはずだ」という 「ある‐ない」の実在論などをちょっとだけ弱めてみたらどうだろうか。脇に置いてみたら。もし、?いまここ?の会話にすべてを委ね、会話そのものを肯定す る姿勢に転じたら、何が起るだろうか。
これはちょっと試してみたら誰にでもすぐに了解できる。隣りにいる人に「幼いときに大事にしていた小物って、なーに?」と純粋な気持ちで聞いてみよう。 「それは、どんな色? どんな形? なぜ大切だったの? いまその小物はどこにあるの?」など。聞かれた人は、思わぬ質問にしばし考え込み、ある物を思いつく。それはその人にとって懐かしい 自分の人生の一部である。あなたの関心への応答として、その語りがどれだけ推進力をえて広がってゆくことか。あなたは「無知の姿勢」がもたらす会話の広が りに目を見張ることだろう。
また、「会話に対する信頼」という点では、日本語と日本文化に精通した者には、目に見えない(無意識の)シールドがかかっているかもしれない。「沈黙は 金」、「口は災いのもと」、「能ある鷹は爪を隠す」、「不言実行」、「語りは騙り」、「口八丁手八丁」そして「男は黙って……」まで。会話に対する警戒心 は枚挙にいとまがない。しかし、このような文化的価値観は、図らずも会話の持つ力を削いでしまっている。「会話に対する信頼」の欠如の裏返しとして、私た ちが(方向違いに)求めるものが、「会話術」だったり、「レトリック」だったり、「外交戦略」だったりする。会話そのものへの信頼がベースにない会話術や セールストークは砂上の楼閣であり、グローバルな信頼関係からは遠ざかる気がする。社会構成主義とは、私たちひとり一人の文化的防御(シールド)の解除の ことでもあるのではないか。
社会構成主義が、日々の活動にリアリティをもつためには、相手を前にした今という瞬間の発明においてである。会話という大きな円環の一部である私たちには、会話への信頼感は必要であっても、紋切り型で決まったマニュアルは功を奏さない。それらは時に会話を阻害さえする。

ジーン・コームスはある時ハリー・グーリシャンに聞いた、「じゃ、ハリー、(クライエントに対して)次に何を質問するべきかは、どのようにしてわかるんですか?」
すると、ハリーは言った、「(丸みがかった表面を想定して)ほんの少し前に行ったところを聞くんだよ、ほんの少しだけ。ちょっと移動したその辺りのことを ね」と、ジェスチャーを交えて答えた。そして、彼は魚の話をして(ヒラメのことを考えていたのだろう)、「魚が泳ぐとき、どう泳ぐ? 魚は少しずつなめら かに泳ぐだろう」、そう言って目をキラッと輝かせたかと思うと、「いや、わかんないな(I don’t know)」と付け足した。
謝   辞
論文「言語システムとしてのヒューマンシステム」の全文を日本語で出版することはぼくの長年の夢だった。ナラティヴに関するどの文献よりもこの一論文が、 認識論として、実践形式として、もっとも大きな示唆を与えるものである──というのがぼくの正直な感想である。もちろん、そこは人によって解釈や価値観の 相違があるだろう。が、この論文がジャーナル『ファミリープロセス』誌上もっとも引用回数が多い論文の一つと言われることそれ自体、何かを物語っているよ うに思う。
多くの方々の助力があってこの本が出来上がったことを大変うれしく思う。共著者のハーレン・アンダーソンも同じ思いであろう。
ハリー、共著者としてここに掲げながらぼくは実際に会話を交わすことはできなかった。しかし、ハーレーンの中にいるハリー、論文から聞こえてくる声として のハリー、そして多くの元研修生の中にはっきりと生きているハリー、すべての声がこの本に関する会話を豊かにしてくれました。ありがとう。
ハーレーン・アンダーソンとの協力関係は、前著『会話・言語・そして可能性』(2003、金剛出版)の翻訳以来であるが、今回は共に本を作るという共通目 標のためコラボレイトできたことをとてもうれしく思う。細部に至るまでeメールでやりとりすることで、共同制作が可能になった。
また、ぼくの日本語訳を読み、貴重な意見をくれた心理技術研究会の中野真也さん、角川綾子さんの両氏にもお礼を述べておきたい。
そして、さいごに、アメリカと日本という離れたところで共同作業するわれわれ二人を刺激しつつ温かく下支えしてくれた遠見書房の山内俊介さんにはこころより感謝の意を表しておきたい。

ガルヴェストン水道が東京湾に通じている?証しとして本書がみなさまに親しまれますよう。

二〇一三年四月五日
野村直樹


著者略歴

アンダーソン、ハーレーン(Harlene Anderson)
1942年生まれ。ヒューストン・ガルヴェストン・インスティテュートおよびタオス・インスティテュートを共同設立。ポストモダン・ファミリーセラピーにおけるコラボレイティヴ・アプローチで現在国際的にも活躍。

主な著書
Conversation, Language and Possibilities. New York: Basic Books 1997(野村直樹ほか訳『会話・言語・そして可能性』金剛出版,2001)
Collaborative Therapy: Relationships and conversations that make a difference. New York: Routledge: 2007(編)
グーリシャン,ハロルド(Harold Goolishian)(1924-1991)
ガルヴェストン・ファミリー・インスティテュートおよびヒューストン・ガルヴェストン・インスティテュートを設立。20世紀末から始まったポストモダン・セラピーに多大な影響を与えた。

主な著書
「クライエントこそ専門家である―セラピーにおける無知のアプローチ」(S. マクナミー&K. ガーゲン編『ナラティヴ・セラピー―社会構成主義の実践』金剛出版,1997)ほか論文多数
野村直樹(Nomura Naoki)
名古屋市立大学大学院人間文化研究科教授。1950年生まれ。スタフォード大学大学院文化人類学専攻(Ph.D.)

主な著書・翻訳書
『みんなのベイトソン』金剛出版、2012
『ナラティヴ・時間・コミュニケーション』遠見書房、2010
『やさしいベイトソン』金剛出版、2008
アンダーソン著『会話・言語・そして可能性』2001、金剛出版(共訳)
マクナミー&ガーゲン編『ナラティヴ・セラピー―社会構成主義の実践』金剛出版,1997(野口裕二との共訳)

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