みんなの精神分析――その基礎理論と実践の方法を語る

みんなの精神分析
――その基礎理論と実践の方法を語る

山﨑 篤 著
2,200円(+税) 四六判 並製 216頁
C0011 ISBN978-4-86616-173-0
2023年6月発行

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かのフロイト先生はロックな人! であった

19世紀の終わりに突如として現れ,既存の人間観を大きく変えた精神分析はロックな存在です。その精神分析を日本で一番ロックな精神分析的精神療法家が,精神分析のエッセンスをワイルドに語った本が生まれました。
精神分析って,一体何? と思われている人から,心理支援を学びたい人,臨床現場で働く人にまで,誰しもに開かれた最強の精神分析理論の入門書になっています。
精神分析の基本ビートである精神分析的発達論を中心に,自由連想を効かせて論じた一冊です。


目次

はじめに。本書の書き方と読み方について一言

第一部 みんなの精神分析
第一部まえがき まずはご挨拶


第一章 心理支援について、まず
第二章 精神分析とは
第三章 精神分析では何をする?

第二部 精神分析的な発達論
第二部まえがき 精神分析的発達論について、まずひとこと


第一章 妄想-分裂ポジションと抑うつポジションについて
第二章 マーラーらが研究した分離個体化の過程
第三章 エディプス・コンプレックス
第四章 思春期と青年期
第五章 アイデンティティの確立

おわりに、あるいははじまりのおわりに


著者略歴
山﨑 篤(やまさき・あつし)
 1964年,福岡県に生まれる。
 1995年,九州大学大学院教育学研究科博士後期課程(教育心理学専攻)満期中退(なんとまあ,大学に入学するのに1度,修士課程進学にも1度,博士後期課程進学でも1度と3回浪人をするという反復強迫がある)。
 1995年,九州大学教育学部助手を経て,1997年には中村学園短期大学(後に,中村学園大学短期大学部に名称変更)に講師として採用され教師を続けた。准教授になったりもしたが,2021年にはお家の事情で退職。
 その一方で,大学院入学以来臨床活動を続け,教師となった後もあちこちでフリーランスの臨床家として活動を続ける。
 2013年よりお認め頂き,精神分析的精神療法家を名乗るようになる。
現所属 JPS精神分析的精神療法家センター(正会員)


まえがき まずはご挨拶


大学を離れ、精神分析的心理療法家として生計を立てることになりました。
これを高らかに宣言し、あちこちで言いふらかしております(言いふらかすと、そうせざるを得ず、そうなっていくというのはワタクシの中のいくつかの不文律の一つ、です)。
そこで名刺も作りました。「これでお金を頂いています」と。
ところが、それで納得してくださるという方が、自分の親族にはあまりいないということに直面化させられました。それなりに人生を歩み、今があるわが親族の皆様のほとんどが「?」という目をされます。一応説明をするのではありますものの。親族ではありませんが、名刺を見て「整骨院か何か?」とおっしゃられた方もおられたようです。
これを書いているのは、実家の書斎。
本日はお盆の初日ですから、お墓からご先祖様たちも戻っておいでのハズ。原野を開拓し、山を切り開いてお百姓さんとして働いてきたご先祖様たちです。四代前の村長さんをしていた方ならば、説明すればご理解いただけるかもしれません。でも、とある合戦に負けて「西の国」へと逃げてきたという噂の初代ならばどうでしょうか? 斬り倒されるかもしれません。コワイ。
説明する中でさらに、「フリーランスで、あちこちでお客さんとって、まあ五十分くらいがワンセッションで、結構時給はいいとよ」というワタクシの説明に、「それってもしかしたら??」と赤面されるゴフジンもおります。ちなみに「心理臨床家=遊女」論ってのはもちろんあって、過去に恩師である前田重治先生と北山修先生が、何かの雑誌で討論してますので、どっかのアーカイブに残っているハズ、です。
*第二校ゲラで、生真面目な編集者の方から「どの媒体でかご教示いただけないか」との書き込みを頂きました、ものの「週刊~」とかの記事で「おおっ!」と思っただけで、詳しくは覚えておりません。「そうだよねー」と思いながら読んだのは確かです。とはいえ、「北山修」で検索すると「おおー! おおおー!!」ということまでトピックが上がっていることに気づきました。これ以上検索かけたりしたら、北山先生に申し訳ナイ。そう思いましたので、関心のある方はご自分の責任でどうぞ、ということにさせていただきますね
それがわが実家のある地方でならば、「精神分析的精神療法家、JPS精神分析的精神療法家センター(正会員)」なる名刺をお見せしても、具体的に何の仕事をどのようにしているのかが見当もつかないということがあっても、おかしくはないと思わなくもありません。電車を降りたら広がる田園地帯。空気はうまいし、空は青い。何しろごみごみした都会では、ユーチューブで見聞きするしかないような鳥のさえずりまでもが、心地よく聞こえてまいります。田んぼの土手に座っているだけで、こころが穏やかになっていくではありませんか。じっとりねっとり言葉をやり取りするよりもよほどこころ癒されます。しかも自然はタダ! ロハですよ! なのに、この癒されようといったら、ないです。果物がなっていたり、場合によってはイノシシを害獣として捕獲して、鍋にすることだってできちゃうわけです。
しかし、そういう地方なんだからという話だけではない。
同じ専門職でも、医師、弁護士、管理栄養士、保育士等々であれば、そうと聞けば具体的に想像することができる。「なるほど」とうなずいて、したり顔もして「大変でしょ」とか言ったりもして、会話を始めるきっかけともなります。しかし精神分析的精神療法家ではそうはいかない。ちゃんと名刺まで作っているのに、ですよ。
まあ、あまり大手を振って仕事をしているわけではないからかもしれません。面接室という密室で、寝椅子やら使って、何やらこっそりとやっていますし。守秘義務の縛りで、「今日来たお客さんってさ~」と八百屋さんのように近所の人に愚痴る訳にもまいりません。ミュージシャンのような派手さもありません。子どもがなりたい職業として、第一位になんてなるはずもありません。高校生にでさえ、進路選択や進路指導の一つとして考慮に入れられることは、到底あり得ません。言い切ります。
そういう仕事だからか、さらにいろいろな誤解や偏見にもさらされている。
別に被害的になっているわけではないのです。精神分析的心理療法というものが、同業の他の立場の心理療法家から抱かれている誤解や偏見も結構あると思います。「時間がかかる」とか、「コムツカシクてよく分からん」とか。まあ時間がかかるのはたしかです。また、心理療法家を目指す若者たちからも、誤解や偏見から近寄りがたいものであるとか、「ハードルが高くてムリムリ!」と遠ざけられているように感じます。確かに訓練のハードルは高いですが。ね。
私が専門の一つとする子どもの精神分析的心理療法に至っては、とある出版社から『子どもの精神分析的セラピストになるには?』というような本が出たくらいです。現代日本では、『医師になるには』という本も『こうやって弁護士になるのだよ』といったタイトルの本もあります。とはいえこの、とある学会で、三年間シンポジウムをシリーズでやって、まさかのトリッキーな編集までして作りこんだ本は、他の専門職にはないのではと思いました。それでそのとある学会の学会誌に書評まで書いてしまった、ところです。ぜひ若者たちに精神分析的心理療法家を目指して頂きたいものだと思います。仲間が増えると嬉しいものですし、こんなにやりがいのある仕事はないですよ。
世の中ではあまり精神分析のことが知られていません。
精神分析学の書物はたくさんあります。フロイト以来それだけ連綿と臨床が積み重ねられ、研究がなされてきたものと考えます。大きな書店には、必ず精神分析のコーナーがあります。がしかし。多くの人はそこを素通りする。電車の中で、精神分析の本をオシャレな仕草でめくっていくような若者にお目にかかったことはないですし、オサレカフェだなんてところとは、相性もよくないでしょう。
人間が生きるという営みにおいて本質的な、魂の解放ということを目指しているにもかかわらず、その点ではあちこちで「解放せよ、魂を♪」といった類の歌だって聞こえてくるのに、「じゃあ、精神分析だね」という話にはならない。「精神分析」というコムツカシそうな名称にも問題があるのかもしれませんね。「精神」というだけで何やら高尚なことのように見えるし、「分析」というだけで、何やら特別なことを行うかのように見えてしまう。精神分析学において用いられている概念も、何やら近寄りがたく見えているのかもしれない。「エディプス・コンプレックス? なんじゃそりゃあ!!」かもしれません。一般の方にとっては。
単なる三角関係にまつわる、こじれたあれやこれやのことなんですけどね。
現在、師匠の北山修先生が、「ならば日本人にはなじみの深い、日本神話を用いてこの三角関係のこじれを説明しよう」と、ウェブや出版において試みておられます。弟子を自認する私も、それに続こうと思います。「エディプス・コンプレックス」だって私ならば、厚生労働省編『保育所保育指針解説 平成三十年度改定版』(二〇一八年、フレーベル館)をテクストの一つにして説明してみせましょう。エヴァンゲリオンを用いて説明してみせましょう。しかも、学部レベルの発達心理学を受講している人ならば、読めばわかるようにかみ砕いて。
他のまっとうな精神分析家の先生や、研究者からは怒られるかもしれません。「フロイトの~によれば」と責められるかもしれません。頭が固い(とワタクシは感じている)あの先生からは、「そんなら~出ていけ~!」と思われるかもしれません。それはそれで仕方ないと思います。何しろ子どもの臨床家でもあるので、子どもっぽいところがあっていたずら好きですし。面白おかしくが、大好きです。
それよりも一般の方に向けて、「精神分析ではね」と語りかけたいと思います。私は、あの小此木啓吾先生のわかりやすい語り口の本が大好きでした。「口述筆記で書いている」と直接伺ったこともあります。北山先生が新書で出された「帰ってきたヨッパライ」をもじった文章も面白かったです(きたやまおさむ(二〇一二)帰れないヨッパライたちへ 生きるための深層心理学、NHK出版)。じゃあ、小此木先生や北山先生の本があればいいのか?
そうは思いません。
小此木先生の時代とは時代背景がかなり違います(当時はあのバブル!)し、「帰ってきたヨッパライ」という歌を知らない世代にも届けたいのです。
そこで、一般の方で「精神分析って興味あるけど、何するの?」という方や、臨床を志す若者で「精神分析って興味あるけど、難しそう!」という方、はたまたいろんな種類の心理療法を治療のチョイスの一つとして知っておきたいという医師・看護師の方が、気楽に手に取って読んでみることができるような本を世に届けたいと考える次第です。
いかがでしょうか? 名刺の話から始まりましたが、社会に対して名刺代わりにご挨拶したいと考える次第です。
ではでは。はじまりはじまり~(「コーン~」──ビブラスラップという私が唯一使える楽器の音がしました。名曲「与作」でも使われている、アレです)。

山﨑 篤

みんなの精神分析

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