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『医療におけるナラティブとエビデンス 改訂版』
──対立から調和へ

(富山大学保健管理センター長・教授)
斎藤清二 著

定価2,400円(+税)、196頁、四六版、並製
C3047 ISBN978-4-86616-010-8

いまの装備で大丈夫か?
新しい時代の治療者が身につけるべきEBM+NBMの臨床スタイル

ナラティブ・ベイスト・メディスンとエビデンス・ベイスト・メディスンは,臨床においての「両輪」とも言われますが,実際にどう両立させるべきなのでしょうか。本書は,この2つの詳しい解説をしつつ,両者を統合した次世代の臨床能力を具体的に提案するものです。
目の前の患者の語りを聞くナラティブ・スキルと,医学本来の実践知であるエビデンス・スキルの双方が矛盾することなく存分に発揮されることが,医療者の最良の姿。
この2つのスキルに焦点をあて,科学万能論でも精神論でもない新しい医療の姿を示したこの本は,対人援助サービスや臨床にかかわる,すべての治療者・支援者の座右の書になる1冊です。
なかなかよく売れまして,改訂版をつくることにしました!

関連書:斎藤清二ら著「発達障害のある高校生への大学進学ガイド」
斎藤清二著「関係性の医療学」
斎藤清二編「N:ナラティヴとケア 第1号」

本書の詳しい内容


おもな目次

第1部 エビデンス
第1章 EBMはどのように誤解されてきたか
第2章 EBMをめぐる物語
第3章 EBM的思考様式と批判的吟味──EBMのステップ(1)~(3)
第4章 臨床判断の共同構成──EBMのステップ(4)~(5)

第2部 ナラティブ
第5章 NBMとは何か
第6章 物語面接法──NBMの技法(1)
第7章 質問技法を中心に──NBMの技法(2)
第8章 物語のすり合わせ──NBMの技法(3)
第9章 物語能力とその教育法ーナラティブ・メディスンを中心に

第3部 ナラティブとエビデンス──対立から調和へ
第10章 EBMとNBMの統合的理解──実践と研究
第11章 臨床心理学におけるEBP概念の変遷――医療関連領域におけるエビデンスとナラティブの展開(1)
第12章 脳卒中への理学療法を例にとって──医療関連領域におけるエビデンスとナラティブの展開(2)


 はじめに

「そんな装備で大丈夫か?」
「大丈夫だ。問題ない」
(「エルシャダイ」のPR動画より)

医療という現場は,何が起こるか分からず,個々の状況や個人の未来は完全には予測できない。なぜそのようなことが起こったのかということについての 説明は,多くの場合,因果論的にはしばしば複雑すぎるために困難であり,それでいて生命にかかわる重大の事態が生じるような,そんな現場である。ひとたび 医療者となったものは,苦しむ患者が援助を求めて来た時には,自分の都合よりも苦しむ他者への対応を最優先するという重大な義務を負う。ここでいう「医療 者」とは,医師のみを指すのではなく,看護師,薬剤師,臨床検査技師,理学療法士,作業療法士などのいわゆるコメディカルスタッフを含むものであり,さら に臨床心理士,精神保健福祉士,介護福祉士などの,幅広い医療関連領域における職種を含むものである。医療者は,本来は不確定である状況に対して可能な限 り適切な説明を行い,予後予測を告げ,適切な対応を選択し,個別の関係の中で最もよいと思われることを実行し,起こった結果に対して責任をとらなければな らない。医療者とは,しばしば普通の人間には不可能とさえ感じられるような,大きな責任を背負うことを自覚している者である。言葉を変えると,医療とは, 不確定性,複雑性,偶有性という容赦ない不条理が渦巻く,残酷で,生き延びることが奇跡とさえ思われる世界なのである。
医療者を目指す者の多くは,自分がこれから漕ぎだして行こうとするその世界が,そんなにも厳しい世界であることには幸か不幸か気づいていない。数十年前に とりあえず医療者となった筆者の場合も全く同様だった。当然のことながら,いつかは「この厳しい世界で,苦しむ他者のために役に立ちたいという高邁な理想 を実現していくためには,自分は決定的に能力不足である」という現実に向き合うことになる。多くの場合,医療者となって数年,時には数十年経ち,基本的な 日常的作業がある程度できるようになった頃に,このような事態に初めて気づく。極端な場合には,そこで医療者としての道を放棄してしまう人もでてくる。
筆者の体験からも言えることであるが,このような過酷な世界で生き延びていくために,多くの医療者は明らかに「装備」が足りない。生身の人間それ自体は弱 いものであるし,患者やクライエントなど苦しむ人の役に立ちたいという,素朴で善意に満ちた欲求だけで生き延びていけるほど,この世界は甘いものではな い。生身の能力が足りなければ,何かを装備(equip)しなければならない。装備が十分であれば,強い敵にも殺されずにすむ。時にはラスボス(最後の強 敵)を倒すことさえできる。しかし,装備というものは装着するにも使いこなすにもコツがいる。一般にこの「装備を適切に生かすコツ」のことを「スキル(技 能)」と呼び,そのスキルを実践するために必要な潜在的な力を「コンピテンス(能力)」と呼ぶ。そして,コンピテンスに基づいてスキルが実践された時,具 体的に手に入る成果がアウトカム(効果)である。
以前筆者は,「医療者に要求される『臨床能力』には,大きく分けて3種類ある。一つは『生物医学的能力=Biomedical Competence』,もう一つは『心理社会的能力=Psycho-Social Competence』,そして最後の一つは『人間性に関する能力=Humanistic Competence』。そしてこれらの3種類の能力は,それぞれ,知識(knowledge),技能(skill),態度(attitude)の3つの 側面をもつ」とまとめたことがある1)。もちろん,このような分類は恣意的なものである。しかしこの時点で筆者が言いたかったことは,医療者として生き延 びるための「装備」としては,「生物医学」に関する能力だけでは不十分だということなのである。
さて,装備というものは,意識的につけたりはずしたりできるものである。それを使うためのスキルには,当然ながらその装備がどのように作られていて,どの ような構造と機能をもっているかについての知識を身につけていることが前提となる。しかし,装備を使いこなすためには知識だけでは不十分であり,実際に装 備を装着してみて,使ってみながら,経験的に「身体で」覚えて行くという訓練が不可欠である。そのような訓練を通じて,装備を使いこなすスキルは「身につ いた」ものになる。そうなればもはや装備を使うためのマニュアルに頼る必要はなくなり,「いちいち考える」ことさえほとんど必要がなくなるだろう。さらに は,自分が装備をしているということさえ,もしかすると忘れてしまうかもしれない。
前置きが長くなったが,筆者が本書で述べたいことは,「エビデンス」と「ナラティブ」と呼ばれる,広い意味での医療現場で用いられる,有効な「装備」につ いての筆者なりの解説である。今から振り返ってみると,筆者が最初に意識した自分に欠けている装備は,「患者と対話する能力」であった。筆者は医療面接法 の開発と教育に力を入れることで,この装備を自分が身につけるとともに,それを一般化しようとした1)。この装備を現時点で呼び変えると米国のシャロン教 授が提唱した「ナラティブ能力=narrative competence」という言葉を用いるのが一番適切であると思われる2)。
後から分かったことであるが,筆者が「ナラティブ能力」という新しい装備を身につけようと試行錯誤していたころ,世界的な医学・医療の現場においては,そ れとは少し異なる切り口の新しい大きな潮流が渦巻いていた。それは,EBM(Evidence Based Medicine=科学的根拠に基づく医療)と呼ばれるものであった。筆者は医療者となってかなりの時間がたってからこのムーブメントに触れることになっ たので,「EBMに必要な能力」を装備するためには,知識の修得,実際の訓練といった点で,多大な努力を要することになった。EBMを実践するために必要 なスキルは実は複雑なものであるが,その中核に位置するものをここでは「エビデンス能力」と呼ぼうと思う。私はあくまでも「エビデンス能力」という装備を 後から装着したに過ぎず,それは未だに不完全である。
後からEBMを学んだ私にとって,最初に目についたのは,本邦におけるEBMをめぐる混乱であった。それはまるでバベルの塔において,突然一人一人の語る 言語が全く違ったものになってしまったかのようだった。いろいろな医療者や専門家が語るEBMやエビデンスという言葉が全く異なる意味をもっているかのよ うに感じられ,筆者の頭は混乱した。
その頃筆者は,偶然NBM(Narrative Based Medicine=物語と対話に基づく医療)という全く新しい医療の概念に触れることになった3)。NBMの概念は甚だしく多様性に富んでおり,それを分 かりやすい言葉で単純に表現することは難しい。しかし幸いなことに,医療者のスキルや能力という観点から言えば,NBMを実践するための能力とは,患者と 良質な対話ができる能力であるということをすぐに理解することができた。その能力とは先にナラティブ能力と呼んだ能力そのものである。
NBMの提唱者であるグリーンハル教授は,すでに“How to Read a Paper”という,英国で最も親しまれているEBMの教科書を著しているEBMの専門家でもあった4)。幸いなことに筆者は,NBMとナラティブ能力に ついての自分なりの理解を深めると同時に,EBMをNBMと対比させながら理解していくということが徐々にできるようになった。これは通常の医療者がたど る道とは時間的には逆の方向であった。
さてここで,再び医療という情け容赦のない荒海に漕ぎだし,そこで沈没することなしに航海を続けるために必要な2つの装備としての,「エビデンス能力」と 「ナラティブ能力」についての,私の理解を整理しておきたい。「エビデンス能力」とは,「医療において適切な臨床判断を行うために必要な能力」であって, 別の言い方をすれば,「臨床判断のプロセスにおいて,その判断の基準を与えてくれる参照枠となる外部情報(その多くは臨床疫学的情報である)を適切に利用 するための能力」のことである。エビデンス能力はEBMという医療実践を適切に行うために必須の能力である。
「ナラティブ能力」とは,「医療において患者と適切な対話を行う能力」であるが,物語という観点からもう少し詳しく言うと「患者の病いの物語を聴取し,理 解し,解釈すること」ができ,「患者の病いの語りについての医療者の物語や,医療者自身の物語を適切に表現すること」ができ,それを通じて,「医療者と患 者の適切な関係性(=癒しの関係)に参入することができる」能力である2)。ナラティブ能力の,医療における典型的な実現の例が,NBMの実践である。
しかし,実際の医療現場において,2つの装備は連携して用いられる。ちょうど最強の盾と最強の槍を両方とも身に付けた戦士が,決して「矛盾」に落ち込んで しまうとは限らないように,この2つの能力は一人の医療者において互いに相補い,協力しあって,有効で意味深い患者中心の医療実践に貢献する。言葉を変え れば,最強の攻撃呪文と最良の回復呪文を両方とも唱える賢者のような役割を,医療者は担うことができるようになる。それが実現した時,そこで行われる医療 はナラティブ・スキルとエビデンス・スキルの双方が矛盾することなく存分に発揮される医療となるだろう。
これらの「対話を通じて患者と適切な関係を結び」「その関係の中で適切に臨床判断を行いつつ行動する」能力こそ,医療者が患者とともに,この非条理で情け 容赦のない「医療」という荒海を航海するために必要な2つの「装備」なのである。そして,この2つの能力が現場で行動に移される時,それは訓練によって身 についたスキルとして目に見えるものとなるのである。
筆者をはじめとする,このような2つの装備を身につけないまま航海にこぎ出した年代の医療者は,これらの装備を自分自身の実践の中で意識的に努力して身に つける必要があった。そのためにはこれらの装備がどのように構成されており,どのような機能を持っているかの知識と,どのようにしてこれらの装備を装着し て使いこなすかについて探索し,学ぶという作業が必要であった。しかし,これらの装備を医療現場に船出する前(卒前教育の段階で)にすでに身につけておけ ば,おそらく医療という海で,自分自身が溺れたり事故に会ったりする可能性を最小にしつつ,患者のために役に立つ航海に同行することがより容易になると思 われる。現実に,ここ10年くらいの間に新しく医療現場に参入した若い医療者たちの多くは,例えば患者に初めて会った時に,速やかに良好な関係を形成する スキルをほとんど意識することなく実行できる。また,診療のプロセスにおいて,適切な臨床疑問を作成し,必要なツールを用いて文献や二次資料を検索し,そ れを臨床判断に役立てることも当たり前のように実行できる。少なくとも彼らは,旧世代の専門家達が,ただ専門家だからという理由だけでコメントを述べたか らといって,自分で調べたエビデンスに照らし合わせてからでなければ,盲目的に従うことはしない。患者の語りに耳を傾け,理解することをしないまま,一方 的に臨床判断を行うというようなこともしない。特別のことを学んだという意識なしに,これらの2つの装備を使いこなすことができるということは素晴らしい ことである。
しかし,現状ではまだまだ,この2つの装備についての説明書が必要であり,本書はそのような,いまだに十分な装備を身につけていないために苦闘している, 広い意味での医療者,および医療関連領域の実践者のために,またこれらの装備の身につけ方を実際の航海に船出する前に学んでおきたい学生のために書かれた ものである。このささやかな書籍の内容が少しでもそれに役にたてば望外の幸せである。

2012年1月1日
斎藤清二


あとがき

Guyatt らによるEBMの提唱から約20年,GreenhalghらによるNBMの提唱から約13年を経て,エビデンス,ナラティブということばが,本邦において も当たり前のように語られるようになってきた。Googleで検索すると,「エビデンス and 医療」では951,000件が,「ナラティブ and 医療」では133,000件がヒットする(2011.12.30現在)。面白いことには,「エビデンス and ナラティブ」で検索すると19,200件がヒットし,エビデンスとナラティブとの関係について多くの人が関心を持ち,それぞれがユニークな考察を公表して いることが見て取れる。
自然に観察される事象を二つの対立概念によって分類・理解しようとする欲求は,おそらくベーコンの言うところの「種族のイドラ」,つまり人間であればだれ でも陥ってしまう理解(誤解?)のパターンに由来するものなのだろう。医療をはじめとするさまざまな領域において,エビデンスとナラティブという対立概念 は,次のような比喩によって表現されている。すなわち「サイエンス」vs「アート」,「客観性」vs「主観性」,「一般性」vs「個別性」,「専門家」 vs「一般市民」,「治療者」vs「患者」,「鳥の視点」vs「虫の視点」……。これらの比喩はそれぞれにエビデンスとナラティブの重要な側面を表現して はいるが,いずれも二項対立的な枠組みを越えるものではない。
筆者は,以前,EBMとNBMを統合的に理解しようとする考え方のバージョンとして,?@EBMとNBMは相互に補完的であり,NBMを加えることによっ てEBMの体系は完成するという「楽観的な」考え方,?AEBMとNBMは異なる二つの世界観であるが,患者と医師の出会いの場において共存しうるという 「慎重な」考え方,?BEBMとNBMは異なる二つの世界観であるが,患者と医師の対話の場において,NBMはEBMを包摂/統合するという「大胆な」考 え方,の三つがあると考察した。これら三つの考え方は,どの視点から何を目的としてEBMとNBMを理解しようとするのか,という関心と相関して取捨選択 されることになるだろう。
これまで筆者は,意識的に「EBMとNBMは患者中心の医療を実践するための車の両輪である」という比喩的表現を採用してきた。最近では,「医療を自転車 に喩えると,ハンドルと直結する前輪がEBMであり,ペダルで駆動される後輪がNBMである」と説明している。最近,本邦におけるナラティブ・セラピーの 第一人者である小森康永先生から,「イルカとクジラを思い浮かべるといいかもしれない。そう,イルカはEBMでクジラがNBMだ。言うまでもなく,イルカ とは体長5メートル以下の歯クジラのこと」というコメントをいただいた(『精神療法』2012.1月号)。この比喩は言い得て妙である。イルカとクジラは 形が似ており,ともに海に住む哺乳動物である。イルカは小さいが頭がよく,クジラは大きいものから小さい物まで多様なものを含む。ところでイルカやクジラ は,自分達が大海に住んでいるということを自覚しているのだろうか,もしこの広い海のどこかで出会ったとしたら,互いが互いをどう理解するのだろうか,と いった楽しい連想を膨らませてくれる。
本書の内容は,2006年11月から2007年9月まで,『理学療法』(メデイカル・プレス社)に10回にわたって連載した「講座:EBMとNBMの実 践」を加筆修正したものであり,第10章は今回新たに書き下ろしたものである。快く転載を許可いただいた株式会社メデイカル・プレスに深謝する。
第3章のエビデンスの二次情報の利用法については,富山大学総合診療部の北啓一朗准教授から御教示をいただいたことに感謝する。最後に,本書の編集の労をとっていただいた山内俊介さんに最大の感謝を捧げたい。

2012年1月 白銀の立山連邦を望む居宅にて
斎藤清二


著者略歴

斎藤清二(さいとう・せいじ)

1975年新潟大学医学部卒業。1979年富山医科薬科大学医学部第3内科助手。1988年医学博士。1993年英国セントメリー病院医科大学へ留学。1996年富山医科薬科大学第3内科助教授,2002年富山大学保健管理センター長・教授。2015年富山大学名誉教授,立命館大学応用人間科学研究科特別招聘教授。2016年より立命館大学総合心理学部特別招聘教授。