心理臨床家の個人開業

『心理臨床家の個人開業』

栗原和彦(代々木心理相談室)著

定価4,600円(+税)、440頁、A5版、上製
C3011 ISBN978-4-904536-23-0

本書は,個人開業領域の心理臨床家として生きる著者が,開業の営為とその心理面接の実務における理論と方法,実践,開業場所や料金の設定,リスクなど,余すことなく,そのすべてを描いた重厚かつ濃密な一冊です。
心理療法や心理的援助は,時代の要請を受けながら広い展開を示していますが,その原型は,フロイトから始まった個人開業にさかのぼることができ,本質的 に「孤独」な実践だと,著者は言います。その孤独の中でもまた孤独な開業実践のなかからつむぎだされた臨床哲学は,開業を目指す人ばかりでなく,すべての 臨床現場の礎となり,クライエントの幸福につながっていくものです。
臨床のリアルを多様な視点から描き切ったこの大著は,さまざまな心理臨床の職場で働く多くの人に読み継がれていくべき本となるでしょう。

本書の詳しい内容


おもな目次

序章   心理臨床家の開業をめぐって
開業感覚
サービス業としての心理臨床
開業の多様化に伴う開業感覚の希薄化
一職能領域としての開業
開業心理臨床家の持ち場――精神科医との比較において

第1章   開業の条件
1.臨床能力
1)アセスメント能力
2)面接能力
3)マネージメント能力
2.人         脈
1)クライエントの紹介先・紹介元としての人脈
2)臨床家としての自分を支える人脈
3)事業家として,個人としての自分を支える人脈
3.人となり
1)謙虚さ
2)誠実さ
3)自己受容
4)社会性
4.トレーニング
1)基礎的な学習
2)精神科での経験
3)読書会・事例検討会
4)セミナー・講習会・研修会
5)スーパーヴィジョン
6)個人分析

第2章   個人開業の構造
1.“売      り”
2.場所選び
1)自宅かオフィスか
2)相談室の規模
3)周囲の環境
3.相談室のしつらえ
1)面接室の基本構造
2)調度品と面接室内の生命
3)待合室,トイレ,そして舞台裏
4)電話――面接室と社会との架け橋
4.スケジューリング
1)セッションの時間とセッション間の時間
2)セッション以外に必要な時間
3)営業時間と土・日・祭日の営業の問題
4)セラピストの休暇
5.料金の設定
1)料金額
2)支払方法
3)キャンセル料と滞納の問題
4)初回面接料についての考え方
5)領収証
6.案内・広告・宣伝
1)広告についての基本的な考え方
2)パンフレットと料金表
3)紹介者への宣伝
7.面接記録と各種の書式
1)面接記録
2)各種の書式

第3章   クライエントを迎える
1.初めての電話
1)その心理面接上の意義
2)周囲の人からの電話
3)初めての電話でどこまで聞くか,どこまで伝えるか
4)初めての電話でお断りする場合
5)初回面接のキャンセル
2.初回面接
1)セラピストの身なり,振る舞い,位置取り
2)周囲の人が同伴して来られた場合
3)初回面接の課題
4)アセスメント
5)アセスメントの伝達
6)作法の伝達
7)手を組むための誘い
8)継続面接の構造化
9)最後の質問
3.初回面接で終了とする場合
1)1回での終結と言える場合
2)一旦間を空ける場合,他機関への紹介,そして1回でお引き取り頂く場合
3)初回でのドロップ・アウト
4.初回面接の整理

第4章   継続面接
1.心理面接は,結局何をしているのか
2.セラピストのセルフ・モニタリング
1)クライエントの反応による妥当性の検証
2)セラピスト自身の反応による妥当性の検証
3)周囲の人の反応
4)同業者との間で
3.変化するということ
1)変化することへの恐怖
2)変化の兆し
3)変化への対応
4.危機への対応
1)危機の不可避性
2)この開業関係の中で支えきれるか
3)継続面接における危機の諸相
4)コミュニケーション,ないし再演としての危機
5)危機を生き延びる――ダメになることも報復することもせずに居続けることの難しさ
5.クライエントとの別れ
1)継続面接の中断
2)終結
3)終結後のコンタクト

第5章   個人開業ならではの特徴
1.プライベートな空間――「私のオフィスへようこそ!」
1)「私のオフィス」が果たす機能
2)1人で賄うことの特権と危険
3)売りものとしての時空間
4)セラピストにとっての心安さとクライエントにとっての心安さ
2.プライベートゆえの役割関係の揺らぎやすさ
1)心理面接という現実と,心理面接という幻想──心理面接の実体化
2)セラピストとしてか,セラピスト個人としてか──「私」の濫用
3)“馴染みのお客さん”の問題
4)サービス業の中での中立性──二重の中立性
3.お金のやり取り
1)料金を受け取ることへの違和感と抵抗の背後にあるもの
2)クライエントにとっての料金
3)料金の支払いに乗せられるコミュニケーション
4.贈り物
1)挨拶としての側面
2)贈り物が持つ偽装機能
3)挨拶に秘められた意図――面接を実体化させる試みとしての贈り物
4)コミュニケーションを補完する側面
5.開業者という対象の強さと危うさ
1)開業者の強さ
2)開業者の危うさ

第6章   個人開業者の背負うもの
1.孤         独
1)心理面接を生業とする者につきものな孤独
2)個人開業者につきものな孤独
2.公私の区別
1)強すぎる逆転移への対処
2)セラピストの人生・個人生活
3)友人や親戚からの紹介
3.「心理」の看板
4.社会人としての自分

第7章   個人開業者を支えるもの
1.オフィスという構造――「今年もアリガト,来年も宜しくね」
2.新たな発見・変化・成長の喜び
3.周囲の人たち
1)同じ専門職の先輩,後輩,そして同僚
2)同じ専門職以外の人間関係
3)家族
4.副         業
1)組織でのパートタイム
2)講演,執筆などの公共活動
3)教育研修機会の提供
5.無心の時間

終   章   開業心理臨床の未来
隙間産業の弱みと強み
開業者の実力――それは誰の責任か?
「芸は一代」


はじめに

現 在,東京国際大学に所属している妙木浩之君から「栗原さん,開業の本,書いて下さいよ」と言われたのは,もう10年近くも前になるだろうか。私から見る と妙木君は,いわば歩く図書館のような人で,全く感心するほどたくさんの本を読んでいる。だから,本当にたくさんのことを知っている。私はいつも,何かこ とあるごとに,彼から教えてもらうばかりの,全く情けない“先輩”である。その彼からそう言われたのは,私にとっては,正直,驚きであった。私など,内緒 で告白すれば,活字が嫌いで本を読むこともあまりしないから,持っている知識には,おそらくかなりの偏りがある。だから,なかなか論文も書けないし,した がって,いわゆる業績は極めて少ない。そんな私が,彼から見ると,何か書き残すべきことをもっているらしい。これは,極めて驚くべきことであった。
確かに私は,いわば心理臨床一筋に職業人生を歩んできた。「臨床心理士」の養成のための「指定校制度」ができてからは特に,臨床一筋に携わってきた仲間た ちが,次々と大学や大学院へと引き抜かれ,臨床に生活をかけて,その臨床を生きてゆくことに決めた仲間たちが,次々に消えていった――もちろん,彼らが 「臨床家」でなくなったのではないだろう。だが,臨床は,フルタイムでするのとパートタイムでするのとでは,決定的に異質なものになる。それは,単に時間 の差にのみ還元できるようなシンプルな,数量的な差異ではなくて,もっと質的な差異を生む。それは,例えば,自分と同じ職場に毎日来て,そこで喜びも悲し みも共にしている仲間と,週に高々1日,2日やって来る人との違いを考えてみればすぐにわかる。パートタイマーは,あくまでパートタイマーだ。彼らに任せ られることは,フルタイムの人に期待されることとは明らかに違うし,それはそれで当然のことであろう。彼らに知らされること,開かれる心の度合いも,フル タイムの人とは違う。それは,単に,フルタイムの人の方が多い,ということではない。その質が変わってくるのである。だから,そこに生きる人のアイデン ティティも,実は当然変わらざるを得ない。いくら「臨床家」アイデンティティを保とうとしても,それは,フルタイムで臨床に携わって来たときとは質的に 違って来ざるを得ないのである。だから私には,フルタイムで臨床に携わってきた仲間が大学人になって行くとき,その同じ臨床という地平に立ってやって来た 仲間が,また一人消えてゆく,という感覚がどうにも拭えないで来た。「ブルータス,お前もか」。何度この言葉を心の中でつぶやいたことだろう。いや,考え てみれば,これは,後に述べる開業臨床の孤独の中で,私が「仲間」を求めすぎているからかもしれない。それに,おそらくは私の偏屈さと,業績の少なさから だろうが,大学教員に誘われることがあまり多くはなかった私の嫉みによる部分もあるだろう。だが,いずれにせよ,私は“臨床だけで飯を食っている人”がど んどん少なくなる寂しさの中で,そこに居留まっている。このことに,いくばくかの意味があるということなのであろう。
もっとも,当初私は,妙木君のこの誘いを真面目に考えなかった。というのも,私はまだ自分の開業論を書けるほどに私自身のスタイルが確立されてはいない, と思えたからである。精神科病院に常勤で約7年半勤め,それから先輩の開業心理相談室に勤めさせて頂き,8年余。それから自分の相談室をオープンして,今 16年が経つ。曲がりなりにも,その間,全くドギツイ言い方だが,食い繋いできた。もちろん,その間には,私や,私の相談室のあり方に不満を持って去られ た方もある。傷つきの中で厳しいお叱りを頂戴したこともある。決して全ての方に満足の行く臨床ができているわけではない。そして私自身も,その一つ一つの 経験の中で,時には深く傷つき,苦しみ,それでも何とか,何かを拾って立ち上がってきたつもりである。至らないことはまだまだ十分にあるだろう。「完璧な 人などいない」と開き直るつもりはない。
その中で,ふと気がつくと,私も50も半ばを過ぎ,これまでの経験が,後進の人たちにとっては,何がしかを学ぶ価値のあることであるらしいことが認識でき るようになった。これまでは,まだまだ自分の洗練ばかりを考えてきたから,そんなことは,正直,思いもよらなかった。だが,自分がいつも「一番後輩」でた だ学ぶことだけをしている立場にいたつもりでも,周囲から見ると,私はいつの間にか,すでに「一番後輩」ではなくなっている。そうだとすれば,このあたり で私なりに自分の開業論をまとめてみることが,私自身のためにもなりそうな予感がし始めたのである。そんな気持ちが,私を本書に向かわせた。私は,改め て,積んであった本を紐解き,もろもろの論文に当たり,そうしたことがまた新たな刺激にもなった。そんな中で,書いてみることにした。
もちろん,私が本書の中で述べることは,いずれもまだプロセスの上にあること,と理解して頂きたい。私にとっては,一つの実験でもある。私自身が一つの試 論をあえて世に出すことで,何がしかのフィードバックを頂くことができれば,それはこの上なくありがたいことである。だが,それだけでなく,まとめてみる ことで自分自身にチャレンジすること。これも,本書の一つの意図である。これから書き進めるうちに,何かが私自身の中で変化していくことを期待したい。
さて,本書の意図だが,私は,この本の中で,開業という現場や,そこで要請される開業感覚とでも言うべきものを明確にし,それを介して,心理臨床の一つの モデルを提示してみたいと考えている。この本は,後進の人に広く心理臨床の開業を勧めようとする本でもなければ,開業をいかに成功させるかのハウツウ本で もない。私は,もっとニュートラルな立場から開業という現場における心理臨床のリアリティを述べ,それについて考えてみたい。そうすることによって,私な りの心理臨床論とでもいうべきものを提示してみたいのである。
私は,開業を望む人に対しては,むしろ,まずは“開業なんてやめといた方がいいよ”と言うだろう。それは,その厳しさを厭になるほど知っているから。「何 と因果な商売か……」。これまで何度そう思ったことだろう。そんな思いを,明るい未来を夢見る後輩たちに勧める気には到底ならない――開業は,決して楽な ものではない。収入だって,よほど知恵を働かせれば別かもしれないが,オーソドックスな個人契約に基づくやり方に従う限りは,どうしたって頭打ちである。 なぜなら,一日に,そして一週間に自分が面接できるクライエントの数は自ずから決まってくるのだから。そうして得られる収入は,一般企業に勤める同年代の 連中の収入を上回ることはまずない。それと対比して,そこで要請されることは,ごくごく厳しい。自分に課さなければいけない課題は,数知れない。それでい て,そこで得られる満足は,ごく慎ましいものでしかない。その実態に触れれば,いったい何が良くてこんな仕事を選んでいるのだろう? と思うことは,一度や二度ではない……。
実際,それを選ばせたのは,いわば私の業のようなものではないだろうか。おそらく開業を夢見る人の中には,同質の業を背負っている人がいるだろう。だが, そんなものは,もし実現されなければ,その方が良いに決まっている。その他の道が,どこかどうにも馴染めないからこそ,こんなことをやっているのだ。
振り返ってみれば,1960年代後半のこの業界における紛争から長い沈黙を経て日本心理臨床学会が立ち上げられたとき,その後,「臨床心理士」の制度が創 られたとき,それに基づいて各地の臨床心理士会が立ち上げられたとき,それぞれに“開業で飯を食えるのが一人前の証である”という趣旨で,開業を美化する 発言をされた先達が何人かおられた。私はこのことに一貫して反対してきた。心理臨床は「開業」が最終目標であるはずがない。それは,例えば精神科医療が, 精神科病院でも,精神科診療所でも,総合病院精神科でも,地域のデイケアセンターでも,はたまた企業内の保健管理センターでも,それぞれに展開されていく のと全く変わらない。精神科医は,自分の診療所を開業するのが最終目標ではない。自身の医院を持たない医師が一人前でないなどということはあり得ない。同 様に,心理臨床家は,開業するのが最終目標ではないし,開業していない臨床家が一人前でないというはずもない。
心理臨床に関して言えば,教育領域にそれなりの,医療領域にもそれなりの,福祉領域にもそれなりの,そして産業領域にもそれなりの,場に特異な考え方や技 法がある。もっと突き詰めて考えれば,その職域固有の知恵と工夫が必要だろう。だから,それぞれの領域での「プロ」が目指されるべきである。ただ,心理臨 床家にとって大切なことは,自分がその場に居て,居心地が悪くない,ということである。そこに居る自分自身がもつ感覚。それが心理臨床の命である。それを 支えるのが,この居心地の感覚である。馴染み感,安心感,安全感などといっても良い。だから,それぞれの心理臨床家は,自分の力量と性格傾向に見合った馴 染める職場で働くのが一番良い。それが,自分が一番自然体でいられるからである。それが心理臨床を構成する一番の重要な背景となる。開業するのは,やはり 組織にどうしても馴染めない,どこか社会性に欠陥のある偏屈者である。そして,そこには,開業に固有の課題が待ち受けている。
実際,心理臨床で開業してこられた先達は,多くの場合,いわば密やかにその職人道を全うされてきた。そこでの臨床の実態は,開業の外にあって開業をもては やす人たちの大声とは裏腹に,なかなか明らかにされることはなかった。そこには,職人が自らコツコツと磨き上げた,なかなか言葉にはしにくい芸や知恵が あったし,それを生み出した苦悩に裏打ちされた開業者のプライドもあった。それらは,そのごく身近なものだけが盗み取ることを許されるような種類のもので あった。だから,開業の実態を明確に提示し,それに基づいて心理臨床を考えてみようとする本は,これまでほとんどなかった。そのことを私は,本書でやって みたい。そうやって開業の実態がクリアになれば,開業以外の領域での実態の明確化にも貢献できるはずだからである。
だから,この本の読者には,開業という領域への,見えないからこその関心や,見えないからこその理想化を一旦棚上げして,むしろ,ご自身が今携わっておら れる職域,今目の前の臨床の現実との比較において,本書を読んでみてほしい。そうすることで,読者のそれぞれが自分の臨床を振り返ることができる。私の役 割は,私の限られた経験から考えたことを,一つの叩き台として提示することにある。この本をそんなふうに使って頂けたら嬉しい。
なお,本書の登場するクライエントの実例は,全て,複数の事例経験に基づいて合成,あるいは創作されたものである。そのプライバシーに関わる部分は,もともとの事例の守秘性を保障するため,大幅に削除ないし改竄してある。あらかじめお断りしておきたい。
また,各章冒頭に,相談室の“仲間たち”に登場してもらった。「私のオフィス」の雰囲気を少しでも伝えられたら嬉しい。


おわりに

『心 理臨床家の個人開業』についての著述がようやく終わった。私自身,まだまだ知らないことがたくさんあるし,読むべき文献もたくさんある。それ に,まだまだ考えが足りないところもたくさんあるであろう。でも,これまでお付き合い頂いた読者諸氏に,まず心から感謝したい。この本は,書くのも大変 だったが,読む方にとっても,おそらく相当に大変な,“重い”本になっているであろうから――もしかしたら,ここから読み始められた読者もおられるかもし れないが。
本書を書き始めて,早3年余の時間が過ぎた。当初予想していなかったことだが,いざ筆を進めてみると,これまで30年の臨床経験の中で考えてきたことが 次々に湧いてきたり,書いておきたいと思うこと,思いもよらなかった整理の仕方などが浮かんで来たりして,こんなに大きな本になってしまった。その作業自 体,とても大変なものではあったが,私自身にとっては大きな作業workであった。確か『祭りの準備』という映画に関するインタビューに応えてだったと思 うが,映画監督の黒木和雄氏が,以前こんなことを言っておられたのを思い出す。曰く,人は一生のうちに一度だけはいいシナリオを書くことができる。それ は,自らの実際の人生を題材にしたものだ,と。この本は,私の臨床家としての自叙伝と言えるかもしれない。そういうものを,この命のある内に,どうしても 書き残して置きたかった。私個人は,それができたことが,まず本当に嬉しい。
開業のことを書いてみて改めて感じたのは,「開業」とは文字通り一から始めるということだ,ということであった。それゆえに開業についての記述も,心理面 接の一からを記述するということになった。いきおいこの本は,「開業」の本であるばかりでなく,私の心理面接の実践の書でもある。開業領域に関心を持たれ る方以外の人たちにも,読んで頂けたらとても嬉しい。構造の違う場面での知恵や工夫は,いつも相互に有益な振り返りをもたらすからである。
本書では,開業の成立から,その実態,そこでの特徴などを網羅したつもりである。それを単一の著者が,その人なりの一貫した考え方に基づいて記述した本 は,まだわが国では出版されていないと思う。その点は,いささか自負を持っている。もちろん,片山(1995)の言う通り,自分が始めたものはいつか自分 で幕を引かなければならない。そして,私も,私の開業にいつか幕を引く作業をしなければならないだろう。だが,今の私には,まだその「終わり」のことに十 分触れる器量がなかった。例えば浜田(2006)のように鮮やかにできるだろうか……? もしいつかこの本を改訂する機会があったとすれば,その時には是 非考えたいと思う。
「はじめに」に述べたとおり,私にとって本書は,1つの実験でもある。私なりにこれまで培ってきたものを提示して,多くの方からの反応を頂くことで,もう 一度私の経験や理解,それに私なりの工夫を見直してみたいのである。もちろん,書籍という手段は,あまりにも多くの不特定の人に向かって“自分”を晒すこ とになる。だから,そのことの反響は,小心者の私にとっては,本当に怖い。それ自体が,おそらく大きな試練となるだろう。だが,そういう私自身への試練だ けではなく,もし本書に述べた私のささやかな経験やそこで考えてきたことが,僅かでも後進の人たちへの刺激になったとしたら,これに勝る幸せはない。もち ろん私の考えや実践には,それ相応の偏りがあるだろう。しかし,そんなことを言えば,偏りのない実践など存在しまい。そこには生きた人間が関わっているの だから。したがって,ここに述べていること,その私の工夫と結論についても,それにそのままに準拠するのではなくて,むしろそれを1つの叩き台として,ご 自身の携わっておられる実践を振り返り,また将来の展開を考える材料にして頂けたらいいと思う。そうして,お1人,お1人が,自分にフィットする臨床の道 具と技術とを開発されていくことを期待したい。
これも本書の冒頭に述べたことだが,開業は心理臨床の一領域に過ぎない。いたずらに開業を目標にしたり,開業はスゴイと考えるのは絶対に誤りである。医療 なら医療,教育なら教育,福祉なら福祉,産業なら産業,それぞれの領域での苦労があり,スゴサがあり,それぞれの領域でのプロが目指されるべきである。た だそれでも,開業は,もともと心理臨床の発祥の地でもある。その意味で私は,おそらく心理面接の最も基本的な部分に触れていると思う。そんな視点から本書 を活用して頂けたら嬉しい。
最後に,これまで臨床家としての私を鍛え,育て,支えて下さった多くのクライエントの方々に心からの感謝を捧げたい。彼らの存在がなければ,今の私はな い。そのお一人お一人のお名前をあえて記さないご無礼をお許し頂きたい。そして,本文中に,その方々との経験を引用させて頂いたクライエントの方々。「は じめに」に述べた通り,本書に記載の臨床経験は,全て複数のクライエントの方々との経験からの創作に基づいている。加えてその個人情報に関わる部分は,大 幅に削除ないし改竄してある。私自身は,こうして,その個々のクライエントの方にご迷惑の及ぶことがないよう,最大限の配慮をしたつもりではあるのだが, それでも万一不本意に感じられる方がおられたら,どうかご寛恕頂きたい。その引用は,私にとってかけがえのない,そして後進の人たちの役に立つ普遍性をも つと思える,貴重な経験をさせて頂いたことへの,心からの感謝を込めてのものである。
そして,私のスーパーヴァイジーになって下さった/いる人たち。彼らとのセッションはとても刺激的で,私は,自分がいつの間にか考えていたこと,蓄積して いたことを随分と言語化するチャンスを与えられたと思っている。彼らの成長は,また,私にとっても大きな喜びであり,開業者としてのみならず,一人の心理 臨床家として,多くのエネルギーをもらうことができた。改めて感謝したい。
さらに,私がここまで来れたのは,多くの先生方の直接的な訓えがあってこそのことである。そのうち,とりわけ精神分析的な心理面接についてのご指導を頂い た先生方のことは特に触れておきたい。私の関わりのあった年代順に:乾吉佑先生―乾先生には,精神分析的心理療法の初期教育をして頂いた。正直なところ, もうその訓えは,私の肉体化されてしまっていて,抽出できない……。相田信男先生――相田先生には,駆け出しの私をよく叱って頂いた。私が後に臨床家の社 会性のことを考えることになったのも,彼のこの示唆に基づいてのことである。加えて,彼と何年にもわたってFairbairnを翻訳し,その記載に基づい て思い浮かぶお互いの事例をディスカッションさせて頂いた経験は,当時はそのことの価値にあまりにも無知であったが,振り返ってみればこの上なく貴重な経 験であった。そこで学んだことは,今の私の臨床観の基礎をなしている。小此木啓吾先生――小此木先生には,この本を是非見て頂きたかった。折々に教えて頂 いたことは,とりわけ私の治療構造論的感覚の中に生きている。片山登和子先生――片山先生は,私の以前のボスであった。開業のノウハウは,その表も裏 も,8年余の歳月を共に働かせて頂く中で,盗ませて頂いた。私の開業の恩師である。神田橋條治先生――神田橋條治先生とのやり取りは,今の私にも深く根づ いている。彼は彼でその後どんどん自分の道を進まれているから,すでに私が教わった時の彼はいないけれども,次の個人分析をお願いした小倉先生に,私の喋 り方が神田橋先生ととても似ていると言われたのに驚いた記憶がある。そしてその小倉清先生――小倉先生には,もう10年以上,さまざまな形でお世話になっ ている。彼の直観力には,いつも舌を巻く。その,いつも新鮮な,そしていつも個別的な着想を生む感性を,私は今も目指している。
最後に,本書を生み出すに当たって,直接的に力を貸して頂いた方々。まず,執筆のきっかけを与えてくれた妙木裕之君――彼との関係がなければ,この本は生 まれなかったかもしれない。そして,遠見書房の山内俊介さん――この本の企画段階から一貫して私を見守り,応援して下さった。彼の仕事の早さには驚嘆した が,同時に彼からは一度も督促をされたことがないのも印象的であった。おそらく私の性格を見抜いてのことなのであろう。実際,折々のコメントは,いつも私 を後押ししてくれた。また,原稿の段階で多くの貴重なコメントを下さった方々。とりわけ,一丸藤太郎先生,福田恒也先生,重宗祥子さん,野村学君,岩倉拓 君には,心からの感謝を捧げたい。さらに,鈴木菜実子さんには,文献検索のことで大いにお世話になった。特に記してお礼を申し上げたい。
そして,本書の装丁に当たっては,京都,唐長の千田堅吉さん,しぶや黒田陶苑の黒田耕治さん,カメラマンの与古田松市さん,そしてデザイナーの本間公俊さんに,格別のご配慮とお力添えとを頂いた。記してお礼申し上げたい。
なお,現在の私の相談室を開設当時から共に支えてくれている私の同僚と,私の個人生活を一貫して支えてくれている私の家族とには,特に大きな感謝を捧げた い。この人たちの存在なくしては,これまでの多くの苦難を乗り越えてくることはできなかった。本当にどうもありがとう。そして,恥ずかしいから小さな声で 言おう。これから残りの人生も,どうぞよろしく。

2011年春


著者略歴

栗原和彦(くりはら・かずひこ)

代々木心理相談室主宰,専攻:精神分析的心理面接,心理臨床学,国際基督教大学大学院博士前期課程修了

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