深奥なる心理臨床のために――事例検討とスーパーヴィジョン

 『深奥なる心理臨床のために』

── 事例検討とスーパーヴィジョン

山中康裕著

定価3,300円(+税)、310頁、四六判、上製本
C3011 ISBN978-4-904536-05-6

本書は,後進の育成において数多くの事例に対峙してきた著者の,それらのセラピーの行く末を見据えたコメントを集成した第一部と,実際の著者によるスーパーヴィジョンの逐語録である第二部からなっています。
セラピーの本質やセラピストが本当になすべきことをまとめたもので,臨床実践の真髄というべき本になりました。
事例検討コメントには,事例提供者*がまとめたケース短報も付され,セラピーのプロセスやケースの見立てなどについて吟味できるようになっています。クラ イエントのことを常に念頭においたコメントは,時に厳しいものもありますが,セラピーに対する誠実さに溢れ,詳細に論じられていますので,初学者の方にも わかりやすいでしょう。
また,第二部では,なかなか活字になることがない,本物の,二時間にわたるスーパーヴィジョンを,二人のコメントやため息までも余すことなく再現しました。これは本邦初かはわかりませんが,他にはないかもしれません。
至高の臨床家の,感性と個性と現実感覚に基づく臨床世界が俯瞰でき,多くの臨床家にとって,座右の書となる一冊となるでしょう。

*事例提供者(敬称略):村瀬嘉代子,皆藤章,保坂亨,棚瀬一代,菅野信夫,待鳥浩司,岸本寛史,横山恭子,清水信介,守屋英子ほか、合計26名。

◆ 本書の詳しい内容


おもな目次
序論 「事例検討」と「スーパーヴィジョン」

第1部 事例検討

□自閉症治療に必要なこと
……村瀬嘉代子「子育ての喜びに気付くまで――自閉症児をもつある母親との面接経過」論文へのコメント

□子どもの心理療法における基本的態度
……白江令子「愛と憎しみのはてに」論文へのコメント

□一喘息児の呈した学校適応異常の改善と治療者の専門性
……渡辺あさよ「母なるものを求めて――ひょうきん博士との2年半」論文へのコメント

□落差の背後に見つけたもの
……栗林美子「自己愛の傷つきを持つ母親が母性を生きること――箱庭イメージを通して」論文へのコメント

□前思春期の少女の心の発展過程
……平松清志「学級内不適応児への接近」論文へのコメント

□「超越」の世界との関わりと、子どもの自我の成長のすばらしさについて
……前田供子「死の不安におびえる少年」論文へのコメント

□治療者交代がプラスに働いた事例
……横山恭子「砂箱にあけられた入口を通って──不登校の少年との面接過程」論文へのコメント

□胎内空間とプシュケー神話幻想
……佐藤由佳利「拒食状態になった不登校女児の事例」論文へのコメント

□「しんどさ」の背後にあるもの
……菅野信夫「『しんどい』青年との歩み」論文へのコメント

□尽力的態度と真の心理臨床のコア的態度の違いについて
……守屋英子「ある場面緘黙児とのプレイセラピー(続)」論文へのコメント

□心理療法における心と身体の関与についての若干のコメント
……皆藤 章「胃の痛みを訴えて来談したある青年期女性の症例――精神的に大人になるということ」論文へのコメント

□「症状」の意味への問い
……坂本(田口)久子「嘔吐による登園拒否傾向の女児の事例──シンデレラの涙」論文へのコメント

□竜と焚き火の絵をめぐって
……田多井正彦「教室に入れない女児との面接過程」論文へのコメント

□心理療法過程における「自己」変容時に留意すべきことについて
……保坂 亨「プレイルームを選んだ少年――登校拒否を主訴とする中1男子の事例」論文へのコメント

□こまやかな配慮とやさしいまなざし
……小坂和子「I君とのプレイセラピー」論文へのコメント

□競馬に託された願いと思い
……待鳥浩司「絵画療法を用いた抑うつ神経症患者の治療例――治療者の不安定さをみつめながら」論文へのコメント

□双極性のうつを呈した事例をめぐって――木村敏教授との対論
……棚瀬一代「自殺企図、自殺念慮を伴う抑うつ状態にある31歳女性の治療面接」論文へのコメント

□対象喪失をめぐる布置
……酒井律子「盗みを主訴として来談した小3女子のプレイセラピー」論文へのコメント

□「慢性アルコール依存症Nさん」の事例に
……平井三鶴「慢性アルコール依存症Nさん」論文へのコメント

□遺糞症とてんかんが疑われる患児
……田熊友紀子「葛藤を『演じる』A君と共演者としての治療者――遺糞症児とのプレイセラピー」論文へのコメント

□砂漠の中のロプノール湖
……真淵志展「ある面接過程に現れたイメージをめぐって――なぞの宇宙人タッちゃんのUFO創り」論文へのコメント

□治療者の感性と客観性
……星野和実「イメージの世界が展開する自閉症児との遊戯療法過程──生まれつつある『ぼく』を探して」論文へのコメント

□欠ける臨床の問題点
……星野和実「生まれつつある『ぼく』を探して?U─自閉的傾向のある男児との遊戯治療過程」論文へのコメント

□器質性障害の内実への問い
……竹内和子「器質性障害を持つ一情緒障害児の治療経過」論文へのコメント

□適切な受け皿となった治療者と多次元表現療法の治療的意味について
……清水信介「ヒステリー症児の治療過程」論文へのコメント

□「未来の医療」の先取り
……岸本寛史「急性白血病患者への心理療法的接近」論文へのコメント

□サイコ・ネフロロジー・カンファレンス

□[エッセイ]コメントについて思うこと

第2部 スーパーヴィジョン

□極めて落ち着きのない小学生への遊戯療法終結後に受けたスーパーヴィジョンの逐語記録
スーパーヴァイジー齊藤荘二(元福井県中央児童相談所)


あとがき

心 理臨床において、もっとも大切な営みはクライエント(来談者)とのセラピーの実践である。臨床心理士の資格制度が、日本心理臨床学会を初めとして 十六の学会が連合して自主的に作った日本臨床心理士資格認定協会が文部省(現在は文部科学省)傘下に発足して四半世紀をけみしたが、それも、昨今財団法人 となった。本来は国家資格となるべき性質のものであるのに、国はなかなかそれに踏み切らないので、資格を、より確乎としたものにするための措置であるが、 より早期の国家資格化の実現を心より望むものである。
さて、このクライエントに直接関わるセラピー、つまり、心理面接なり遊戯療法なりを、われわれは最も重視する。それこそが、臨床心理士の本領であるからだ が、われわれはその育成の中で、事例検討とスーパーヴィジョンをもっとも重視してきた。私がこの四半世紀最も心血を注いできた領域であると言ってよい。
本書の第一部は、心理臨床の分野において、おもに大学院生の担当した大抵はイニシャルケースが多いのだが、彼らの事例に、その事例のセラピーの行なわれた 当時に筆者が書いたコメントを集めたものである。しかし、ときには、大ヴェテランの先生の事例も混じっている。また、当時は大学院生であっても、この間す でに三十年をゆうに越すので、もう、あちこちで教授になっておられる方も一杯ある。たとえば、保坂亨君、清水信介君、菅野信夫君、皆藤章君、小坂和子さ ん、星野和実さん、棚瀬一代さん、横山恭子さん、平松清志君ら……皆そうである。こうして数えていくと、すぐに両手指が足りなくなるほどだ。
さて今や、心理臨床学なり、臨床心理学なりをもっぱら教える大学院は百六十校を超えた。あちこちで、事例に関わる院生が増えたはいいが、そして、京都大学 の河合隼雄先生が率先して始められた相談室紀要も、その大学院の数だけ発行されているが、それらは、おのおの各自の大学院では読まれるものの、統一して、 こうしたかたちで一貫して一人の著者によって書かれた書物はほとんどなかったといってよい。実に、現在、そうした実践的な学問を日夜学び、日夜、実践的に クライエントに立ち向かわねばならぬ院生たちにとって、最も希求される書物の一つなのではなかろうかとの自負がある。
さて、私が心理臨床の仕事に関わるようになって、もう三十五年になる。この年月は、河合隼雄先生によって、私が京都大学に招聘されて以後の三十年よりも、 五年ほど遡っての計算となる。というのは、本書の第一部のラストに集録されている、『京都大学教育学部心理教育相談室紀要』で組まれた特集のエッセー「コ メントについて思うこと」をお読みになると知られるように、その紀要の第三号に、倉光修君の自閉症児のセラピーへのコメントをしたのが、その嚆矢であるか らだ。その倉光論文と、同様に、東京大学の紀要における、下山晴彦君へのコメントともども、本当は本書に掲載する手はずであったが、両氏とも、クライエン トの了解がとってないからと言ったような理由で掲載を断ってこられた。残念至極である。なぜなら、両氏とも、いまや東京大学教授となっておられるのである から、そうした偉い先生方にも、こうした初々しい時期があったのであることを知る上でも、また、筆者側からすれば、私の最早期のコメントなのであって、歴 史的変遷の跡が辿れたはずでもあるからだ。しかし、本人が断ってこられたのだから致し方ないと諦めた。
一方で、本書を紐解いて、まず、大抵の方が吃驚なさるであろうことは、何と、いまや、河合先生亡き後、第二代目の日本臨床心理士会会長の職におつきになっ ておられる、私のもっとも尊敬申し上げる臨床心理士と言っていい村瀬嘉代子先生の事例が、巻頭に載っていることだ。実は、私自身、本書のゲラを手にして、 初めてこのことに気づいたのである。そういえば、恐れ多くも、村瀬先生の事例のコメントをさせていただいたことを、これを見て思い出したのだったが、何 故、こうしたことが起こるかと言えば、本書も、以前の私の著作集全6巻(岩崎学術出版社刊)のときと全く同じく、今は京都大学医学部の准教授である、岸本 寛史君が、編集の労をおとり下さっているからだ。氏は今や、《緩和ケア》という、京都大学附属病院のなかで、内科や外科や婦人科、老人科、精神科などの枠 を取り払った、各科の隙間を繋ぐお仕事の中で、あるときは終末治療に、ある時は痛みの緩和に、ある時は各科の狭間で喘いでいる患者一人ひとりに、実に、細 やかにかつ誠実に関わっておられる日常の、その考えられないくらいご多忙の中で、私の過去の仕事をきちんと整理され、こんなにも立派な本を編んで下さった のである。サイコオンコロジーのカンファレンスでの一文も、私の手元からはとうに散逸して、すっかり忘却していた原稿だった。
さて、第二部は、福井の齊藤荘二君のスーパーヴィジョンの実録である。これは、お読みになるとすぐわかられるごとく、氏が、当時福井の児童相談所にご勤務 になっていた頃、わざわざ、遠隔の地から京都大学の私の教授室に来室されての、二時間にわたるスーパーヴィジョンの全実録である。無論、齊藤君ご自身が テープから起こされたものであろうが、実は私はこの記録が文字化されていることすら忘れていた。こうしたある意味でとても貴重な記録といってよいと思う が、こういうものまで、岸本君は集めてくれていたのである。
こうした心憎いばかりの細心のご配慮で本書も成ったのである。まことにありがたいことであり、心底感謝に耐えない。また、本書に纏めるにあたって、掲載を ご快諾された各事例の執筆者全員の皆様に深く感謝申し上げる次第である。また最後になってしまったが、本書を刊行するにあたって甚大なお力添えをいただい た遠見書房の山内俊介氏にも感謝申し上げる。本来なら、彼の独立記念第一号となるべきはずであったのだが、私の怠惰で遅くなってしまったのであった。しか し、本書の立派に刊行されたことで、相殺して欲しいと思うものである。すべてのクライエントを含む、すべての協力者に感謝して筆を擱く。

平成二十一年七月五日 宇治の草庵にて 山中康裕、識


著者略歴

山中康裕(やまなか・やすひろ)
1940年、愛知県生まれ。名古屋市立大学医学部卒業後、精神科医として児童期,自閉症臨床を勢力的に行う。南山大学をへて,京都大学教育学部助教授。その後,教授に。現在は,京都大学名誉教授。また京都・宇治で研究所を開設。2009年より,浜松大学教授。

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