治療者としてのあり方をめぐって──土居健郎が語る心の臨床家像

治療者としてのあり方をめぐって
――土居健郎が語る心の臨床家像

土居健郎・小倉 清 著

定価2,000円(+税) 160頁 四六判 並製
ISBN978-4-86616-036-8 C3011
2017年10月10日発行

 

《「甘え」理論》の土居健郎と,その弟子であり児童精神医学の大家ともなった小倉清による対談集

土居の死後,長らく絶版になっていたものをこのたび再刊しました。
厳しくも暖かい精神医学の良心とも言われた土居は,今もなお,優れた治療者として名高い存在です。その土居が語る「こころの治療者のあり方」とは何か? 治療者の心構えは何か? 精神医学が生きる道はどこなのか? ユーモアあふれる2人の対談は今もなお輝きを失っていません。


   はじめに

この本は多くの方々の協力によって出来上がった。「治療者としてのあり方をめぐって」という題で対談をした小倉清先生と私が主役を演じさせられたわけだが、我々二人は、この課題を企画者から与えられ、何の準備もなく、出たとこ勝負でこれに臨んだ。主題だけは決まっていたが、筋書きも台詞も与えられず、聴衆の前で即興劇を演じたようなものである。それでも我々自身話していて結構楽しんだし、聴衆の皆さんにも喜んでいただけたと思う。この度、この本が出ることで多くの読者にとっても参考になるとすればこれほど嬉しいことはない。
今これを書いていてふと思ったが、精神療法というものがそもそも一種の即興劇としての性格を持つものではなかろうか。相手の抱えている問題如何で、また相手の出方次第で、これを行う者はその都度筋書きを決め、適切な台詞を考え出さねばならない。そう考えると、ここに収録された我々の対談の中にも、精神療法家としての我々の姿がおのずと映し出されているのかもしれないと思われるのである。
最後にこの対談を企画した方、この本を作り出すために骨折られた方々に、心からの謝意を述べて欄筆したい。

平成七年十一月七日
 土居健郎

 

 あとがき

まず、この本の題についてであるが、「治療者としてのあり方をめぐって」というのは、いかにも大げさに聞こえるかもしれない。治療といってもそれぞれの立場や考え方、実践の方法・技法などがあって、きわめて複雑なものである。そんな複雑な作業にかかわる治療者というのも、人間としてまた実に複雑な存在ではある。だから治療者のあり方をめぐって、実に多くのさまざまな要素がからんでくるのである。
初めは「治療者としての生き方をめぐって」という題が考えられていた。しかし生き方というともっととてつもなく複雑になるだろうし、あまりにも大きすぎるテーマだろうということで、「あり方」に変えたという次第である。
対談の部分では、あり方にしろ生き方にしろ多少のことは語られたのかもしれないが、むしろ研修のあり方をめぐっての話があったように思う。もちろん、そのなかには自然に生き方やあり方の問題もいくらか顔を出したであろう。
なにしろぶっつけ本番の対話で、あらかじめ何も相談はしていなかったので、
全くの出たとこ勝負となり、その点、いささか不備なところもあったと思う。けれど土居先生の言葉はいずれにしろ重いものがあって、教えられるところが多いと思う。
横浜精神療法研究会については三人の先生方がそれぞれ感想なり、思い出なりを書いてくださったので、個人的な面にわたるところも多少はあるものの、興味深い読みものになっていると思う。全体として、タイトルが示唆するかもしれないほどの大変な内容のものではないにしても、まずまずお楽しみいただけるかもしれないとひそかに考える次第である。
例によって、多くの方々のお世話のもとにこの研究会は存続してきたし、また、この小冊子の成立にも多くの方々の善意が強く働いていることを申し添えたい。

平成七年十一月一日
小倉 清

 

新版へのあとがき

この本は二十年よりも前に当時「横浜精神療法研究会」なるものが二十年位つづいていて、その年間行事として毎年どなたかをお招きして開かれていた座談会のようなものの記録である。この会には中井久夫先生、河合隼雄先生、同じく雅雄先生、それから南極観測隊の隊長だった先生などにもお出で願ったりもしたのだった。
土居先生は当時大変お元気でいらしたものだから、あとの懇親会にも出席願って皆さん大いに啓発されたのだった。でこの本はその後絶版になってしまっていて、私自身もうすっかり忘れていたのであった。それが今回、端無くも遠見書房の山内さんがどこかでこの本を発見され、土居先生のお話しがとてもよいものだからなんとかしたい、ということになったのである。そこで私は改めてこれを読み返し、いろいろ思い出してしまって懐かしくもあり、土居先生(二〇〇九年七月五日にお亡くなりになった)の本書に再会してうれしいやら、感謝の気持ちを新たにしたのであった。
この本には河野道子、野間和子、そして川畑友二先生もそれぞれに素晴しい文章をよせられていて、それらにも注目していただきたい気持ちになった。しかし一冊の本にしては、やや量が少ない感じがしたし折角、また改めて出版するには何かをつけ足した方がよいと思ったので、今まで私が余りふれていなかったことに多少ふれることにした。
そしてもうひとつ、Dr. Karl Menningerという人については知る人ぞ知るというか、余りに偉大すぎて個人的なことはほとんど知られてはいないのではないかと思い、幸か不幸かのどちらかよくは分らないが、私は昔の訓練生として、またメニンガーの子ども病院の勤務医であった関係で、誰にも伝えられてはいないであろう事柄にも、あえてふれてみたのである。
エピソードはもっとあるにはあるが、やはり個人情報に属することだし、またMenninger familyは御健在であられる限り、自ずと尊重されるべき事柄もあることではあろう。
ともかく、遠見書房の山内さんにははからずも誠にお世話になり、心から感謝申しあげたい。
さいごになるが、この本は野間和子先生が企画され、かつすばらしい司会で盛り立てていただいた、討論の部分でも聴衆を盛り上げて下さり、出席のみなさんは、とても満足されたことであったろうと思う。そしてこの本の再刊については、野間先生たちにもご相談をして快諾をえていることを申し添えたい。

平成二十九年八月五日
小倉 清


目 次

第一部 土居先生と小倉先生
対談 治療者としてのあり方をめぐって
…………土居健郎・小倉 清
精神科に入ったきっかけ
ご縁があってこの世界に
小説から小説家への興味、そして人間の心の動きへの関心が
恵まれた留学経験
トレーニングについて
精神療法の勉強には先生と喧嘩するぐらいの気迫が必要?
精神療法家の生い立ち
自分をみつめる苦しさ
「治療者としてのあり方をめぐって」対談のあとで
言語喪失による言葉への不信
オムニポテンス
内科の記録を日本語でとったのが日常語の精神医学へ
ケアの意味は「心配する」こと
漱石の『ガラス戸の中』に学ぶ
治療者は安定した人格でなければならない?
治療者における宗教の役割
精神科医にしかなれなかった?
トレーニングシステムはやはり必要

第二部 それぞれの経験
一、精神療法の訓練について………河野通子
二、背中を見て育つ……川畑友二
三、横浜精神療法研究会と私……野間和子
四、アメリカ修行時代……小倉 清
五、カール・メニンガー先生のことさまざま……小倉 清

付録 夏目漱石『硝子戸の中』より(抜粋)

 


著者紹介

土居健郎(どい・たけお)
1942年,東京大学医学部卒業。1950~52年,メニンガー精神医学校留学。1955~56年,サンフランシスコ精神分析協会留学。1961~63年,アメリカ国立精神衛生研究所に招聘。1957~71年,聖路加国際病院神経科医長。1971~80年,東京大学医学部教授。1980~82年,国際基督教大学教授。1983~85年,国立精神衛生研究所所長。聖路加国際病院診療顧問。主な著書に『精神療法と精神分析』(金子書房),『精神分析と精神病理』(医学書院),『方法としての面接』(医学書院),『「甘え」の構造』(弘文堂)などがある。2009年7月逝去。享年89歳。

小倉 清(おぐら・きよし)
1932年,和歌山県新宮市生まれ。児童精神科医,クリニックおぐら(院長),元日本精神分析協会会長。1958年,慶應義塾大学医学部卒業。1959年~1967年,米国留学。ニューヨーク州グラスランド病院,フェアフィールド州立病院,イエール大学精神科,メニンガークリニックなどで主に児童精神医学を専攻。1967年関東中央病院精神科勤務。1996年クリニックおぐら開設,2014年クリニック移転に伴い,初めての試みとなる,親と子のデイケア「れんと」を開始。主な著書に『小倉清著作集1~3,別巻1』(岩崎学術出版社),『子どものこころ』(慶應義塾大学出版会),『子どものこころを見つめて』(共著,遠見書房),『こころの本質を見つめて』(共著,遠見書房)

 

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