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ホロニカル・セラピー──内的世界と外的世界を共に扱う統合的アプローチ

定森恭司著

定価3,100円(+税)、248頁、A5判、並製
C3011 ISBN978-4-904536-98-8

「観察主体と観察対象をめぐる心的構造が変化すれば,人は,新しい人生に向かって変容していく」
──新しい心理療法の宇宙を開く必読の書

ホロン【Holon;哲学】
アーサー・ケストラーによる。部分であるが、全体としての性質も持つもの。全体子とも言う。
ホロニカル・セラピー【Holonical Therapy;臨床心理学】
心の深層から,身体,関係性や社会に至るまで,人間のありようを部分⇔全体的に俯瞰しながらアプローチする心理療法。フロイトやユング,家族療法,プロセス指向心理学,システム論,ナラティヴ・セラピーに加え,西洋哲学から東洋思想までをバックボーンにする。臨床家
定森恭司による独創的な心理療法でもある。

臨床心理学は,身体的自己や生活の場から切り離されてしまった「意識」や「精神」を扱ってはいるかもしれない。だが,生命力の溢れる情感をともなったこころそのものの体験を扱っているのだろうか?

◆ 本書の詳しい内容


おもな目次

第1章 既存理論の限界と新しいパラダイムの創発
第2章 ホロニカル・セラピー概論
第3章 ホロニカル心理学で用いる主要概念
第4章 ホロニカル・セラピーの実際
第5章 さまざまなアプローチ
第6章 心的問題別各論
第7章 心理相談における諸問題
第8章 終 章
事例集
事例1
事例2
事例3

ほか


今日の心理学は,身体的自己や生活の場から切り離されてしまった「意識」や「精神」を扱ってはいても,生命力の溢れる情感をともなったこころそのものの体験を扱っているとは残念ながら思えません。愛や憎しみ,喜びや悲哀,至福や絶望などへの関心も薄れ,抑うつ状態/躁状態,適切な思考/不適切な思考,行動の正常性/異常性,適応性/逸脱性,健常/障害,定型/非定型などの医学的用語に象徴されるように,複雑なこころの現象を客観的な一定の尺度や診断基準や用語でもって測定したり評価しながら理解していくことに強い関心を向けはじめています。
しかしながら,いかなる「知」も,「知る者(専門家)」が「無知なる者(一般人)」に対して,一方的に何かを納得させる論理として使用され,指摘される者自身が「腑に落ち」「了解できる」という「実感」と「自覚」がないのであれば,専門家による囲い込み,利益を得るための一種の洗脳と批判されても仕方がありません。まさに「知」は,使う者の倫理にかかっているといえます。
このような危険性を考慮する時,これからの心理学や臨床心理学においては,最新のこころに関する科学的知識や周辺領域の学問的知見を積極的に取り入れつつも,「内的世界と外的世界」を共に重視した上で,「実感」と「自覚」の立場から,さまざまな知識や知見を再検討し,再統合していく必要があると考えます。特に,カウセリングや心理療法を含む心理相談(注)の本質は,生きている生活の場の外的現実におけるクライエントの内的現実に基づきながら新しい価値や生き方を発見していく創造的行為だと考えています。
こころは形なきものという意味で無といえます。無といっても有・無の無ではありません。非有としての無でもありません。こころとは,形はありませんが,働きとして「実感するものとして有り」,「自覚できる無として有る」といえます。こうした無でもあるこころが自己や世界を根源的なところで動かし,実に多層多次元にわたって多様な現れ方をするのです。
そのため,こころの千態万状の現れ方に呼応するようにさまざまな心理療法が成立します。その結果,心理療法の対象も,行動,認知・思考,情動・感情,体験過程,イメージ,夢,トラウマ,対人関係,家族,コミュニティ,高次の精神性など多岐にわたります。しかし,それぞれの理論や技法は,それなりの効果を示しますが,その効果は得意とする対象領域を少しでも外れると限界を示すことも否定できません。また特定の理論とその理論に裏打ちされた技法というものは,それぞれが異なる独自体系的枠組みを持っています。その結果,必要に応じて適宜いろいろな理論や技法を折衷しようとすると,思わぬ枠組みの相異に遭遇し,クライエントもカウンセラーも一種の心的危機に巻き込まれる危険性があります。宗教において,絶対者や神などのイメージや定義が異ると,なかなか相容れることが難しい現実と似ています。
以上のようなことを考慮する時,ケン・ウィルバーの次のような指摘には耳を傾けるだけの価値があります。「意識は多元的である,あるいは,多くのレベルからなっている。心理学,心理療法,宗教のおもだった学派や宗派は,それぞれ異なったレベルに力点をおいている。したがって,これらの学派や宗派は互いに対立しているわけでなく相補的であり,それぞれのアプローチはそれ自体のレベルに着目している限りおおむね正しく,妥当なものである。……意識に対するおもなアプローチの真の統合が実現可能となる」(Wilber, 1977)。
著者もこころに関するさまざまな理論や技法は,人が実際に生きている場を常に念頭におきながら,「観察主体」と「観察対象」の関係をめぐる「実感」と「自覚」の差異にさえ注目すれば,統合的に理解可能と考えています。多層多次元にわたって多様な現れ方をするこころの現象そのものに対して,どのような「観察主体」から,どのようなものを「観察対象」とし,どのように観察しようしているかの関係性の差異として,統一的に理解が可能と考えています。一見,千態万状の現れ方をするこころも,万物を識別しようとする「観察主体」の働きと,識別される万物という「観察対象」との関係から見直せば,「見ようとするもの」と「見られるもの」の関係が,「自己」と「世界」のあらゆる出来事をめぐって,実にこころの現れ方そのものに自己言及的に密接不離に絡み合い縺れ合っていることが明らかになります。特に人間の場合では,縺れ合いの「実感」と「自覚」の差異が個性を形づくっているともいえます。しかし,何人にあっても心的症状や心的問題を執拗に反復するときには,「自己」と「世界」の出会いをめぐって,自発自展するはずの自己の自己組織化が停滞・停留してしまいます。しかも問題が深ければ深いほど,こころの多層多次元にわたって,「観察主体」と「観察対象」の関係が悪循環パターンを反復し,流動性を失った固定的心的構造が立ち現れてきます。この事実は裏返せば,人は,「自己」と「世界」の出会いをめぐって生き辛くなり,たとえ,こころの多層多次元にわたって流動性を失った固定的心的構造を形成してしまったとしても,「観察主体」と「観察対象」をめぐって,たとえ小さなインパクトでも,意味のある変化を引き起こすことができるならば,小さな変化は次第にこころの他の層の変容に影響し,ついには頑固な心的構造をも変容させる可能性があることを意味します。認知・思考の変化は情動・感情の変容を誘発し,情動・感情の変化は認知・思考の変容を招くといえます。そしてある人の自己の変容は,その人を取り囲む世界(人を含む)の変容にもつながっています。実際,心的危機に陥っている多くの人が,適切な自己と世界の関係性を見直す場さえ得られれば,これまでの「観察主体」と「観察対象」をめぐる心的構造を変化させ,新しい人生に向かって変容していくのを沢山目撃してきています。
本書では,「自己」と「世界」の関係を,「観察主体」と「観察対象」という観点から捉え直し,こうした新しいパラダイムに基づく「ホロニカル・セラピー」を紹介しています。
「ホロニカル」というキーワードは,多元性や人間の意識・主観などを科学にも取り込もうとしはじめたニューサイエンスの考え方に筆者が興味・関心を抱きだした1980年前後に出会った「ホログラフィック・パラダイム」(Wilber, 1982)や,アーサー・ケストラー(Koestler, 1978)の「ホロン」などの概念に刺激されて作りだされた筆者オリジナルの概念です。「部分が全体を包摂する関係をホロニカル関係」として概念化しています。こころの現象は,「ホロニカル」な観点から捉えた方が,心理臨床の実践感覚と,とてもしっくりくるのです。「ホロニカル・セラピー」は,心的危機に陥った多くの人との悪戦苦闘の実践の中から創発された智慧の一部です。そしてホロニカル・セラピーの実践の歩みの中から,自ずと「ホロニカル心理学」がやはりオリジナルの心理学として誕生してきました。
ホロニカル・セラピーやホロニカル心理学は,常に臨床の中で創発され続けていきますので,完成型があるというものでも当然ありません。そういう意味では,常に不十分なものといえます。しかし,一方では現時点でも,何かの役にたつのでないかという思いが強くなり,思い切って長年の研究をまとめ公表するものです。
本書の作成にあたって,経験豊かな知識をもってよき助言ばかりでなく,多忙の中,細かな校正まで手伝っていただいた心理相談室こころのスタッフの前田由紀子さん,鈴木栄子さん,そしてホロニカル研究会の一員として研究を共にしてきた李慧英さん,坪田裕季さん,後藤麻里さん,そして研究とともに校正までご尽力いただいた近藤千加子さんに,お礼を申し上げます。そしてとりわけ,長年にわたって私に伴走してくれた妻,定森露子に心から感謝したいと思います。妻なしでは到底この著書は実現できなかったといえます。
出版にあたり,遠見書房の山内俊介社長には,いろいろなご助言を賜り,大変お世話になりました。長年の研究成果を出版という形でまとめあげることができたのも山内社長さんのご理解とご協力によるものでした。こころから厚くお礼申し上げます。
そして何よりも,心理相談面接について学ぶことを助けてくれたすべてのクライエントに感謝を表します。
本書は,専門性,資格の有無,学問や宗教の立場の違いなどを越えて,こころの現象に深く興味・関心のある方に向けて書いたものです。こころの内外の出来事を,観察主体と観察対象の立場から総合的に見直していくホロニカル・セラピーやホロニカル心理学の考え方は,特定の個人や家族を対象とする面接室の心理相談ばかりではなく,人が生活する場である家庭・学校・企業・地域などにおける相談などの幅広い分野で応用できる考え方です。
本書の中に込められた臨床の智慧が,少しでも人々のお役にたてれば幸いと思うと同時に,これからの実践と研究の励みになりますので,率直なご意見を賜れば幸いです。

2015年8月 定森恭司


あとがき

「臨床の知」を提唱する哲学者 中村雄二郎は日本を代表する西田幾多郎について次のように述べています。少し長くなりますが引用します。「古典物理学の対象論理の独断に囚われていたのが,相対性原理によって物理的な時間・空間関係が身体的自己の立場から明らかにされた。しかし『相対性原理の物理学は,尚古典物理学の続きに過ぎなかった』。それは,未だ作り作られるものとしての自己の立場から抽象されていた。『今日の量子物理学に至って,物理学は始めて真に身体的自己の自覚の立場……に還つたと云うことができる』。波動力学において,粒子はどこまでも波動的でなければならないし,波動はどこまでも粒子的でなければならない。『多の自己否定的に一として波動的であり,一の自己否定的多として粒子的である』。したがって,『絶対矛盾的自己同一』の論理は,同じように,生命的世界についても歴史的世界についても有効だと西田は言っている。たしかに生命的世界においては,個物的多と全体的一との矛盾的自己同一というのは,魅力的な考え方である。というのは,『細胞は何処までも身体の細胞である,一の多である。全体的一に対してそれぞれの機能を果たすかぎり細胞である。併しそれが単に一の多となれば,全体的一はもはや有機体はなくて単なる機械となる』からである。この西田の考えは一見有機体説のように見えるけども,現在の概念でいえば,A・ケストラーの〈ホロン〉説に近いといえよう」(中村,2001)
この一文を見つけた時,こころの現象と現代物理学や西田哲学とニューサイエンスの描く世界観に浅学の身ながらなんとなく気づいていただけに,我が意を得たりとの感がありました。それも著名な哲学者との同じ感想に自信を深めたともいえます。ずっと既存の臨床心理学の理論や技法に行き詰まりを感じ,それを当時,ポストモダン的に近代の思想やパラダイムを超克するものとしてもてはやされ出したアーサー・ケストラーやケン・ウイルバーをはじめとするニューサイエンスの文献に没頭し,そこに臨床心理学との類似性を感じつつも,何かいつも違うという感覚が自己の深奥から呼びとめられ続けていました。そうこうするうちに,鈴木大拙を知り,和辻哲郎を知り,西田幾多郎に出会います。そして,昨今では,正直,難解な大乗起信論の本質を東洋の立場からひもとく井筒俊彦に惹かれる自分がいます。これまでの歩みを円のイメージで比喩すれば,西洋心理学に学びながら自我同一性を求め,半円を描きながら円の頂点あたりに至って,自我の概念そのものに疑問と限界を感じ,自我の仮象性を重視する東洋的なこころのとらえ方の方向に,頂点から元々の出発点に向かって再び半円を描くようにして歩み,丁度360度回転したような心持ちです。しかし,こうした歩みは,私だけのことではなく,こころをめぐる東西の学問の時代の変容の潮流ともリンクしていたのではないかと思うようになってきています。西洋のこころの捉え方と東洋のこころの捉え方は,似て非なるものといえます。この差異は,僅少な差異とはいえず,長年私のこころを悩ませてきた最大の課題でもありました。しかし,最近は,一巡してやっと共に重要なんだと腑に落ちるようになってきています。
「……東洋哲学の大部分に共通する顕著な特徴であるのだが-意識と存在,内と外,は密接な相関関係にあり,究極的には全く一つであるという……」(井筒,1991)との感覚がやっと少し体感できるようになってきています。
既存の臨床心理学の限界を感じ,ニューサイエンスやアメリカのエサレン研究所を中心とした人間性心理学からトランスパーソナル心理学にヒントを掴もうとし,これらの新しい流れに刺激されながらオリジナルのホロニカル・セラピーを探究してきました。しかし流れの大枠が決まりだすと,多くの人からほとんど知識のなかった華厳経との類似性を指摘され,西洋から東洋に回帰するようになり,西田とか,井筒を通じて,東洋的な哲学との酷似に気付き惹かれるようになりました。正直,実に長い時間をかけて遠回りした気分でもあります。
しかし,次の言葉は実に身にしみます。「だが,それにしても,実に長く険しい道のりだ,〈究竟覚〉を達成するということは。『起信論』の語る〈究竟覚〉の意味での〈悟り〉を達成するためには,人は己れ自身の一生だけなく,それに先行する数百年はおろか,数千年に亙って重層的に積み重ねられてきた無量無数の意味分節のカルマを払い捨てなければならず,そしてそれは一挙に出来ることではないからである。」(井筒,2001)。こうした意味では,座禅に代わる人生の修行法として,心理相談を捉え直せることを長年かかってやっとみつけたと言えるのかもしれません。

平成27年8月  定森恭司


著者略歴

定森恭司(さだもり・きょうじ)
1953年生まれ。早稲田大学で教育心理学を学び,卒業後,民間企業を経て,愛知県の心理職として採用され,不登校・非行問題,発達障害,育児不安等の児童・家庭の心理相談や,職業に関するキャリア・カウンセリングにも携わる。この間に,精神分析,家族療法,ブリーフ・セラピー,プロセス心理学などを学ぶと共に,ユング派系の分析家の教育分析を受ける。
平成7年に,心理相談室“こころ”を名古屋市内に開設し,開業臨床心理士として,さまざまな心理相談の他,学校心理臨床や福祉心理臨床にも関わり,若手の臨床心理士等に対するスーパービジョン,教育分析,大学の非常勤,公的機関のスーパービジョンの活動を行う。研究会や講座も主宰している。
主な著書に,「教師とカウンセラーのための学校心理臨床講座」(編著,2005,昭和堂),「学校臨床のヒント」(共著,2007,金剛出版),「保護者との『面談』と親との『面接』の中にある難しさ─学校の場合・相談室の場合(2013,児童心理No.969,金子書房)がある。