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「甘え」とアタッチメント―――理論と臨床

(西南学院大学)小林隆児・(東京大学大学院教育学研究科)遠藤利彦編

定価3,200円(+税)、320頁、四六判、並製
C3011 ISBN978-4-904536-48-3

子どものこころの臨床に活かすために

土居健郎の「甘え」理論とボウルビィのアタッチメント理論の歴史と現況を丁寧にたどり,実践者としても名高い執筆者らの手によって融合を試みたものです。
成人の深刻な精神病理を示す患者の治療において,乳児期の体験の重要性が明らかになってきました。こうした状況のなかで,臨床の世界において,乳児期のアタッチメント体験の質的検討に注目が集まっています。
行動面に着目し,実証的な科学として発展してきたアタッチメント理論と,その子どものアタッチメント行動の背後にある,「甘え」理論。この両概念の理論的な架橋を試みた意欲的な本書は,多くの臨床家にヒントを与えるものになるでしょう。

小倉・村田・小林著:「子どものこころを見つめて」も好評発売中

本書の詳しい内容


おもな目次

I 総   説
1 「甘え」から見たアタッチメント  小林隆児

II 「甘え」理論の歴史と現況
2 対談「甘え」理論と臨床を語る  小倉 清・小林隆児
3 「甘え」理論と 土居健郎の生涯  小倉 清
4 「甘え」理論はわが国の精神医学・ 精神療法に影響を及ぼすか  小倉 清

III  「甘え」理論と臨床実践
5 乳幼児期  小林隆児
6 学童期  川畑友二
7 思春期・ 青年期  生地 新

IV アタッチメント理論の歴史と現況
8 座談会 アタッチメント研究と 母子臨床の今日的動向  小林隆児・遠藤利彦・吉田敬子
9 ジョン・ ボウルビィの生涯とアタッチメント理論  遠藤利彦
11 ストレンジ・シチュエーション法(SSP)  数井みゆき
12 アダルト・アタッチメント・インタヴュー(AAI)  数井みゆき
13 アタッチメント・スタイル・インタヴュー(ASI)  林もも子

V アタッチメント理論と臨床実践
14 アタッチメントと子ども 虐待  西澤 哲
15 アタッチメントと 母子臨床  吉田敬子
16 アタッチメントと 思春期臨床  林もも子

VI 終   章
17 アタッチメントから見た「甘え」  遠藤利彦


プロローグ―本書が生まれるに至った経緯
わが国の子どものこころの臨床において、虐待問題は深刻の度合いを深めるばかりである。さまざまな現場での取り組みは年々盛んになっているにもかかわら ず、一向に改善の兆しは見えない。そうした現状において、今盛んに取り上げられているのが「アタッチメント」の重要性である。乳幼児期早期の親子関係の質 がその後の子どもの発達成長を大きく左右するものとして認識されるとともに、虐待された子どもの臨床においてもアタッチメントを育むためのプログラムが試 行されている。そうした虐待臨床の流れとは異なった領域として発達障碍臨床があるが、そこにおいても最近になってアタッチメントの重要性が認識されるよう になりつつある。今では虐待臨床も従来の発達障碍臨床もアタッチメントの重要性、つまりは乳幼児期早期の親子関係に光が当てられつつあると言ってよい。
このような最近の子どものこころの臨床の動向が本書を編むことになった一つの動機であることは確かであるが、私自身の動機を遡ってみると、その出発点は二 〇年余り前に開始した母子ユニット(Mother-Infant Unit: MIU)で始めた母子臨床にある。私はMIUで母子関係にさまざまな困難を抱えた事例を対象に母子臨床を試行していたが、そこで母子関係の質的検討を行う 際に採用したのがストレンジ・シチュエーション法(Strange Situation Procedure: SSP)であった。そもそもSSPは主に一歳前後の乳児を対象にアタッチメント行動の特徴を把握するための心理学的実験の枠組みとして開発されたものであ る。SSPはアタッチメント・パターンの評価を実施するためのツールであるが、私が目指したのは母子関係の質的検討であった。他に汎用されている観察の枠 組みがなかったことから私はSSPを用いたが、実施してすぐに気づいたのは、子どものアタッチメント行動を観察していると、目の前に展開している母子の関 わり合いの様相は、われわれ日本人には馴染み深い「甘え」の問題でもあるということであった。つまりアタッチメント行動として観察されている子どもの母親 に対する接近をめぐる行動をとらえようとすれば、私は子どものそうした行動の背後に動いている「甘え」にまつわるこころの動きを自ずから同時に感じ取って いることを実感するようになった。MIUの臨床の場でともに取り組んでいた研究仲間も共通する思いであったことから、このことは次第に確かなものとなって いった。それ以来、私はアタッチメントと「甘え」との関連性を常に念頭に置きながら、MIUでの臨床を継続していくようになった。
一四年間の長きにわたって継続してきたMIUの臨床も転勤という私個人の理由によって終わったが、そこで得た膨大な臨床経験の蓄積をもとに、新たな職場で 臨床心理士を目指す学生教育に従事していくうちに、私がこれまでに経験してきたことは、誰にでも容易にできるようなものではなく、極めて恵まれた環境が あって初めて可能になるという非常に希有なものであったことに気づかされた。それは私にとっていかに貴重な経験であったか、改めて感謝したい思いが日に日 に強くなっていった。教育の場で学生相手にその内容をぶつけてみると、私が抱いていた臨床感覚がいまだ素人に毛の生えたような学生にも通じるという手応え を得るようにもなった。そこでも私は学生とともに、子どもに見られる「甘え」をめぐるこころの繊細な動きを幾度となく再確認することができたのである。
そのような私の思いをさらに後押ししてくれたのが、土居健郎の遺書となった『臨床精神医学の方法』(岩崎学術出版社、二〇〇九)との出会いであった。それ までにも土居の「甘え」理論に関する本はかなり読んでいた私であったが、この時、これまでMIUで確かなものとして手応えを感じとっていた子どもに見られ る「甘えをめぐるアンビヴァレンス」が土居の「甘え」理論における中核的な概念である「甘えのアンビヴァレンス」と呼応することに大きな感動を覚えたので ある。このことが契機となって改めて土居の著作を精読していくにつれ、土居が発見した臨床的知見の数々が私の臨床の手応えとあまりにも重なり合うことに驚 くとともに、強い知的興奮を味わうようになった。このことがきっかけとなって、私はこれまでの乳幼児期の自閉症スペクトラム障碍(ASD)を対象とした臨 床の経験をもとに、学童期、思春期・青年期はもとより成人期の患者に至るまで、いわゆる発達障碍のみならず多様な精神病理の臨床にも貪欲に取り組むように なった。すると、土居が「甘え」を基軸にして、統合失調症はもとより神経症その他の多様な精神病理を示す患者の理解と治療の手だてを考えていったことに、 私はいたく共鳴するようになった。それとともに、「甘え」理論がこれまで多くの批判にさらされてきたのはなぜかをも考えるようになった。まもなくして、そ の最大の理由は「甘え」理論を生み出した土居の臨床の対象がすべて成人であったことによるのではないかと思うようになった。そもそも「甘え」は乳幼児期早 期に最初に体験されるがゆえに、その時期の「甘え」体験のありようそのものを見ずして、成人に見られる「甘え」と乳幼児期の子どもの「甘え」とのつながり を論じることは難しい。そこにはどうしても推測の域をでないところが残ってしまう。よって、乳幼児期早期の「甘え」の内実を確認し、それと成人期とを連続 したものとしてみていくことにこそ、私に与えられた課題ではないか思うようになった。このようにしてより実証性のある知見を提示することによって、「甘 え」理論に対する批判にも応えることができるのではないかと私は痛切に思うようになった。そのような思いを胸に抱きながら、幅広い年齢層のさまざまな精神 病理を示す患者の臨床に従事していると、乳児期から成人期までの成長発達過程に通底するものが何か、私には次第にその輪郭が浮かび上がるようになった。そ こで私が着手したのがこの数年間に纏めた「甘え」理論への再照射を試みた一連の論考である(小林2010; 小林2011; 小林2012)。
こうして私は乳児から成人までの幅広い臨床を視野に入れながら、「甘え」を基軸にさまざまな精神病理と精神療法を探求するようになったが、冒頭で述べたよ うに乳幼児期の虐待臨床と発達障碍臨床の世界では依然としてアタッチメントの視点からの取り組みが積極的に行われている現状に対して、私は強い関心を持ち 続けてきた。そこでいつも不思議に思っていたのは、「甘え」というわれわれ日本人にとっては自明ともいえる情緒的体験が彼らには取り上げられず、アタッチ メントにばかり関心が向けられていることに、違和感を感じていたが、よくよく考えてみると、先ほど述べたようにそもそも「甘え」理論が成人を対象に生み出 されたものであることもさることながら、精神科臨床においても大きな潮流にはなりえなかったというこれまでの歴史があったことに気づかされる。「甘え」理 論は精神医学領域というよりも、それ以外の分野でのインパクトの方が大きく、学際的な広がりをもっているところに特徴がある。そして、アタッチメント理論 も、もともと精神分析出自のボウルビィ(Bowlby, J)が精神分析の現状を超えるべく生み出したものであったにもかかわらず、精神分析や精神病理の世界では一顧だにされず、(発達)心理学領域中心の学際的 な広がりを見せてきたのである。
このような「甘え」理論とアタッチメント理論の不幸な歴史を顧みて思うのは、「甘え」文化に馴染み深いわれわれ日本人こそ、この両者を建設的に統合できる 優位な立場にいるのではないかということである。この時期いまだことばを発する前段階での対人世界での体験である「甘え」に対するわれわれ日本人の独特な 感性を生かすことは、子どもたちの成長発達過程において、是非とも必要なことであると思う。今日、精神療法の世界において、乳児期のアタッチメント体験の 質的検討に注目が集まりつつあるのは、成人の深刻な精神病理を示す患者の治療において乳児期の体験の重要性が明らかになってきたからに相違ない。そこで問 題とされているのは、非言語的世界というわれわれが意識的に気づくことのできない非意識の領域である。これは従来精神分析の世界で局所論的な視点から取り 上げられてきた欲動の抑圧としての無意識とは異なり、面接場面で観察可能な対人的動きとしてとらえることの可能な性質のものである。そこにわれわれ日本人 の「甘え」に対する繊細な感性が生かされる可能性を感じるのである。
そんな思いが膨らむ中で、私は「甘え」とアタッチメント双方の立場から建設的な議論を行うことの必要性を強く意識するようになった。そこで私は会長として 数年前に開催した日本乳幼児医学・心理学会のメインテーマを「アタッチメント、甘え、そして関係性」として議論を試みた。今思うと、それはほんの皮切りの 一企画にすぎなかったが、ついで、私はある雑誌に「甘えとアタッチメント」と題する企画を持ち込み、多くの執筆者からの原稿が届き、印刷にと思った矢先 に、その雑誌が廃刊になるというショックな出来事を体験した。おまけに私の企画の一つ前までは発刊されていたこともショックをさらに大きくした。貴重な原 稿を多数もらったからには、ぜひとも他の形でものにしたいと念じ、いくつかの出版社に声をかけたところ、遠見書房の山内俊介氏からすぐに二つ返事をもらう ことができ、やっと本書がこのような形で日の目を見ることになったのである。
最後に、本書の特色について一言解説しておこう。
前半の第?T部から第?V部までが「甘え」に関する座談と論考で、後半の第?W部から第?Y部がアタッチメントに関する座談と論考である。
本書の特色の一つは、「甘え」の立場、アタッチメントの立場から相互に意見を交換する場を設けたことである。前者の立場から編者のひとり小林が論じ、後者の立場からもうひとりの編者遠藤が論じている。
さらにもう一つの特色は、対談あるいは座談会形式でそれぞれについて、その特徴と現時点での問題点や疑問点などを自由に論じ合ったことである。
こうした企画によって、「甘え」とアタッチメント各々の特色と疑問がより明確に浮かび上がってきたのではないかと編者としては密かに思っているのであるが、そうした思いがどれほど実現しているのかは、読者の判断を俟つしかない。
以上のような経緯から生まれた本書であるが、この企画が「甘え」とアタッチメントの間で学問的交流が生まれるなんらかの契機となればと切に願う次第である。
平成二四年一〇月 百道浜にて
小林隆児

引用文献
小林隆児(2010)メタファーと精神療法.精神療法、第三六巻、五一七‐五二六頁.
小林隆児(2011)関係からみた「勘と勘繰りと妄想」(土居健郎).精神療法、第三七巻、三二七‐三三六頁.
小林隆児(2012)「甘え」(土居)と“vitality affects” (Stern)―「甘え」理論はなぜ批判や誤解を生みやすいか.精神分析研究、第五六巻、一三四‐一四四頁.


エピローグ―「甘え」とアタッチメントが織りなす心の綾

本 書が企図したところは、「甘え」とアタッチメント、それぞれが何たるかを再確認し、その理論的関連性を詳らかにすること、そして、その臨床的な含意を問 うことであった。本書を編み終え、すべての章を読了して思うのは、これまで密に絡み合って必ずしも十分に識別・同定できないでいた、「甘え」とアタッチメ ントというそれぞれの糸を解きほぐし、それらの糸が本来、いかなる色を発するかを、おぼろげながら確かめることができたのではないかということである。お そらく、その発色が、両者とも、やや玉虫色の彩りを帯びていたことは否めないところであろう。そして、そのことが、角度によっては、双方、きわめて近似し たものであるように、また別角度によっては、双方、全く異質なものであるように私たちの目に映じることにつながり、結果的にこれまで、「甘え」とアタッチ メントの間の理論的架橋を非常に困難なものにしていたと言うことができる。しかし、本書の多くの章で試みられたのは、それぞれの糸、本来の地色を精緻に探 り当てようとすることであったと言えるのかもしれない。そして、各章の執筆者の営為が実り、それぞれの糸の地色がこれまでになく選り分けて見られるように なった結果、それらが精妙に織りなす心の綾を、ほんの少しばかり、垣間見ることができるようになった気がする。
第1章の小林氏の論考にもあるように、また第2章の小倉氏と小林氏の対談の中でも言及されているように、ボウルビィによるアタッチメント概念が、人と人と の関係性における、主に行動的側面に焦点化したものであるのに対し、土居による「甘え」概念が、主にその基底に存在するであろう情動的側面に焦点化したも のであることは確かなことである。精神分析から出発したボウルビィが、比較行動学との邂逅を通して、「臨床的に仮構された乳児(clinical infant)」ではなく「現実に観察された乳児(observed infant)」に絶対的な重きを置き、そして精神分析のメタ理論たる動因理論を完全に放逐したことは、それ自体が、彼にとって精神分析への訣別宣言の意 味を持ったに違いない。また、現に、それを境に、ボウルビィは英国精神分析学会から事実上の破門宣告を受けることになるのである。一方、土居は、あくまで も精神分析の内に在って、心の病に苦悩する成人が語る過去の子ども期(すなわち「臨床的に仮構された乳児」)の中に、子どもと養育者等の間における複雑な 情動の揺れ動きを見て取り、それを通じて、「甘え」を中核概念とした独自の発達論を構成するに至っているのである。その理論構築における方法論の決定的な 差異が、これまで両理論間の実りある対話を阻んできた主要因の一つであることは確言していいところであろう。エビデンス・ベースのアタッチメント論者、特 に客観的な科学的志向性を強く有する発達心理学者は、主観性に深く踏み込むナラティヴ・ベースの「甘え」理論に一種の違和感を禁じ得なかったであろうし、 後者は後者で、殊にクライエントとの語りを紡ぐ中で臨床実践を手がける者にとってはなおさらに、かなりのところ主観性を排しているかに見える前者に、ある 種の物足りなさを感じていたとしても何ら不思議ではないのである。
しかし、ボウルビィその人が、最期まで精神分析家としてのアイデンティティと矜恃とを保持し、境界例、自己愛性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリ ティ障害といった難しい事例とも一貫して向き合い続けたという事実は、彼が、恐れや不安に駆られた他者に対するくっつき、あるいはくっつきたくともくっつ けないという行動の背後に、確実に、さまざまな主観性の揺曳を嗅ぎ取っていたことを強く思わせるものである。また、第一、アタッチメントが、そもそも、恐 れや不安から「安全の感覚(felt security)」の回復に至るまでの情動制御機序として提唱されていることを思えば、特にそこにおいて、物理的な意味での安全性ではなく、あくまでも 主観的に感じ取られた(felt)安全性(security)が重視されていることを思えば、ボウルビィの視線は、むしろ、人の行動的な外面以上にその情 動的な内面に注がれていたとも言えるのかもしれない。確かに、彼が、関係性の内的側面、すなわち種々の表象やそれに絡む主観性を説明すべく提示した内的作 業モデルという概念は、各所にかなりの曖昧さを残したものであり、現実的にそのことがさまざまな誤解を生んできたということも否めないところではあるが、 彼が真に志向したところは、そうした概念的装置を通して、高度に個別的な私たち一人ひとりの情意の動きを整合的に理解し、そして時にそこに生じ得る種々の 澱みや濁りを除くための有効な手立てを講ずることであったような気がする。
ただし、そうした志向性がボウルビィ一人の手によって果たして十分に成し遂げられたかというと、おそらくその実状はそうではないのだろう。第10章でもふ れたように、アタッチメント理論は、ボウルビィの臨床的志向性への原点回帰を見せつつ、今なお発展途上にあると見なすべきであり、特に長く疎遠であった精 神分析との和解・相互交流が近年、とみに進む中、個の内に渦巻く主観性や関係性の基底に潜む間主観性の問題をいかに的確に扱い得るかということが一つの枢 要な課題になってきていると考えられる。そして、それは無論、アタッチメントの生涯発達研究が進む中、殊に児童期・思春期以降においては、アタッチメント の個人的特質の測定が、例えば第12章で数井氏が解説しているAAIに代表されるように、実質的に個の中の表象や主観性に真正面から向き合わざるを得ない という事情とも密接に関連していると言える。
こうしたアタッチメント理論の現況に鑑みて一つ言い得ることは、多様な個の複雑な内的世界を把捉する上で、ボウルビィ自身が提示した理論枠だけでは、もは や十分には対応しきれないという可能性が現実的に想定されるということである。そして、だからこそ、そこに、元来、正負、さまざまな情意の揺動に対する精 細な分析から打ち立てられた土居による「甘え」概念が、一条の光となって射し込む意味が大いにあると言えるのである。第17章でも述したように、アタッチ メントとは基本的に恐れや不安といったネガティヴな情動に結びついた心理行動的あるいは神経生理的な制御システムのことである。それに対して、「甘え」 は、そうしたネガティヴな情動のみならず、そもそも、その対極に位置する安楽や愉悦といったポジティヴな情動にも深く関わるものとして概念提示されてお り、人の心の中に揺れ動く正負の情動の相剋や葛藤を包括的に描出し得るものである。本来、日常的に子どもと養育者等の間で交わされるポジティヴな情動の蓄 積が、危機的状況下にある時の個のネガティヴな情動の経験や表出にいかに関わるかという問いは、発達的にも臨床的にもきわめて重要なものであるはずである が、そうした視座は、基本的に、アタッチメント理論においては希薄なところであり、その意味で、それと「甘え」理論との間に相互に自由に行き来可能な、確 かな橋が架けられることには大きな意義があると考えられるのである。そして、それは、「甘え」概念が拡張的に新たな展開を見せる一つの契機にもなり得るも のと思われる。
もっとも、「甘え」とアタッチメントの関係性をめぐる旅は、まだまだ先の見えない、薄暗がりの道半ばにある。本書に何らかの学術的意義があるとすれば、そ れはあくまでも、行方の定まらない、しかし、私たちがこれまで見落としてきた大切な何かがきっと見つかりそうな旅路に、あえて最初の一歩を踏み出したとい うところにあるのかもしれない。これは始まりであって終わりではない。本書が一本の嚆矢となり、この後に、新たな視座を豊かに備えた気鋭の論者が続き、さ らなる理論的展開が刺激的に繰り広げられることをひたすら祈念して、この書を結ぶことにしたい。

遠藤利彦


編者略歴・執筆者一覧

編者略歴

小林隆児(こばやし・りゅうじ)
西南学院大学人間科学部社会福祉学科(教授)。九州大学医学部卒業。
専門:児童精神医学,臨床心理学
主な著書:『関係からみた発達障碍』(金剛出版、2010)、『自閉症のこころをみつめる』(岩崎学術出版社、2010)、『よくわかる自閉症』(法研,2008),『子どものこころを見つめて』(共著,遠見書房,2011),他多数

遠藤利彦(えんどう・としひこ)
東京大学大学院教育学研究科(准教授)。東京大学大大学院博士課程単位取得退学
専門:発達心理学、感情心理学
主な著書:『乳幼児のこころ:子育ち・子育ての発達心理学』(有斐閣,2011),『社会・文化に生きる人間(発達科学ハンドブック5』(共編著,新曜 社,2012),『心のかたちの探究:異型を通して普遍を知る』(共編著,東京大学出版会,2011),『アタッチメントと臨床領域』(共編著,ミネル ヴァ書房,2007),他多数

執筆者紹介(五十音順)

遠藤利彦(えんどう・としひこ) 東京大学大学院教育学研究科
生地 新(おいじ・あらた) 北里大学大学院医療系研究科発達精神医学
小倉 清(おぐら・きよし) クリニックおぐら
数井みゆき(かずい・みゆき) 茨城大学教育学部
川畑友二(かわばた・ゆうじ) クリニック川畑
小林隆児(こばやし・りゅうじ) 西南学院大学人間科学部
西澤 哲(にしざわ・さとる) 山梨県立大学人間福祉学部
林もも子(はやし・ももこ) 立教大学現代心理学部
吉田敬子(よしだ・けいこ) 九州大学病院子どものこころの診療部