あたらしい日本の心理療法──臨床知の発見と一般化

あたらしい日本の心理療法
──臨床知の発見と一般化

池見 陽・浅井伸彦 編

3,200円(+税) A5判 並製 240頁 C3011 ISBN978-4-86616-152-5


つぎはこれだ!

本書は,近年,日本で生まれた9アプローチのオリジナルな心理療法を集め,その創始者たちによってじっくりと理論と方法を解説してもらったものです。
オリジナティあふれる心理療法が生み出された背景には何があったのか,それを会得するためには何が必要なのか,など多くの臨床家にあたらしい世界を紹介するものになりました。事例も交えながらの論考は,明日の臨床でのカードにもなり,困ったときの実践のヒントにつながるでしょう。
心理療法家としての能力を向上させたい方にとって必読の1冊です。


主な目次

第1章 「標準心理臨床」は存在するか?
浅井 伸彦

第2章 エイジアン・フォーカシング・メソッズ
池見 陽

第3章 タッピングタッチ:ホリスティックケア
中川一郎

第4章 USPT
新谷宏伸・小栗康平

第5章 ホログラフィートーク
嶺 輝子

第6章 催眠トランス空間論(“松木メソッド”)
松木 繁

第7章 ボディ・コネクト・セラピー
藤本昌樹

第8章 条件反射制御法
平井愼二

第9章 ホロニカル・アプローチ
定森恭司・千賀則史

第10章 P循環療法
牧久美子・東 豊


編者略歴

池見 陽(いけみ・あきら)
兵庫県生まれ。ボストン・カレッジ卒業,シカゴ大学大学院修士課程修了,産業医科大学(医学博士)。北九州医療センター,岡山大学助教授,神戸女学院大学教授を経て,関西大学大学院教授。著書多数。2019年,アメリカ・カウンセリング・アソシエーションよりLiving Luminary(存命の輝ける権威)に任命。2020年,日本人間性心理学会より学会賞受賞。
主な著書に,『バンヤン の木の下で』(木立の森文庫),『傾聴・心理臨床学アップデートとフォーカシング―感じる・話す・聴くの基本』(ナカニシヤ出版,編著),『フォーカシングへの誘い』(サイエンス社)など多数。

浅井伸彦(あさい・のぶひこ)
大阪府生まれ。関西大学社会学部卒業,京都教育大学大学院修士課程修了。公認心理師,臨床心理士,保育士,オープンダイアローグ国際トレーナー資格(The certificate that qualifies to act as responsible supervisor, trainer and psychotherapist for dialogical approach in couple and family therapy)など。現在は一般社団法人国際心理支援協会 代表理事,株式会社Cutting edge 代表取締役。
主な著書に,『はじめての家族療法:クライエントとその関係者を支援するすべての人へ』(北大路書房,編著)をはじめ多数。

著者一覧
編者
池見 陽(いけみ・あきら=関西大学文学部心理学科)
浅井伸彦(あさいのぶひこ=一般社団法人国際心理支援協会)

執筆者(50音順)
小栗康平(おぐり・こうへい=早稲田通り心のクリニック)
定森恭司(さだもり・きょうじ=心理相談室こころ)
千賀則史(せんが・のりふみ=同朋大学社会福祉学部社会福祉学科)
中川一郎(なかがわ・いちろう=大阪経済大学人間科学部人間科学科)
新谷宏伸(にいや・ひろのぶ=本庄児玉病院)
東 豊(ひがし・ゆたか=龍谷大学文学部心理学科)
平井愼二(ひらい・しんじ=国立下総精神医療センター)
藤本昌樹(ふじもと・まさき=東京未来大学こども心理学部こども心理学科)
牧久美子(まき・くみこ=龍谷大学文学部心理学科)
松木 繁(まつき・しげる=松木心理学研究所/花園大学社会福祉学部 臨床心理学科)
嶺 輝子(みね・てるこ=アースシー・ヒーリング・セラピー)

 


はじめに

本書『あたらしい日本の心理療法』という書籍を執筆するにあたって,共同編集者である池見陽氏より以下のような問いを賜った。

「あたらしい日本の心理療法」でいいのでしょうか? 「あたらしい」が「日本」にかかっているように読めます。心理療法にかかるなら,「日本のあたらしい心理療法」となるのではないでしょうか?

これは,森田正馬の森田療法,吉本伊信の内観療法,成瀬悟策の臨床動作法の3つを指す言葉として使われてきた「日本の心理療法」を修飾するために,形容詞の「あたらしい」を添えた言葉である。心理療法,カウンセリング,あるいはメンタルヘルスに興味関心をお持ちの方であれば,これら3つの「日本の心理療法」について多少なりとも名前を聞かれたことがあるだろう。
森田療法は1919年に,内観療法は1940年代頃に,そして臨床動作法は1960年代頃に作り出され,今や日本生まれの三大心理療法として国際的にも広く知られている。認知療法や行動療法が1950~60年代頃に創始されたことを考えると,非常に早い時期に生まれてきた。昨今,認知療法や行動療法はその第3世代として,マインドフルネス(第2世代は認知行動療法といわれる)が世界の趨勢のひとつとなってきていることに加え,Sigmund Freudから始まる精神力動的な心理療法にエビデンスを見出していっていることなど,「心理療法」の世界でも時代が変遷していっている様子がうかがえる。そんな中,「日本の心理療法」についてはどうだろうか。いわゆる「日本の心理療法」に関しては,少なくとも書籍ベースでは,(私の単なる主観かもしれないが)上記3つの心理療法で時代が止まってしまっているかのようにも見える。数年前にアメリカやヨーロッパ,アジアの各地に国際学会への参加のため赴いた際,何度も各国で現地の書店を訪れた。そんな時に決まって行くのは臨床心理学や心理療法のコーナーであるが,そこでも前述した3つの心理療法のみ簡単な記述が見られるにとどまり,ほとんどの書籍には日本の心理療法に関する記述自体が見当たらなかった。アメリカで3~4年に1度行われているThe Evolution of Psychotherapy Conference(心理療法の進化会議)で,The Milton H. Erickson Foundationの代表を務めるJeffrey Zeigと話したり,その他の参加者と話した際も,私のことを日本人と見て話題に出されるのはその3つのいずれかであった。日本人の認識ですら,これら3つの心理療法=「日本の心理療法」なのだから,他国でも当然これら3つの心理療法が知られているのがせいぜいであろう。では,本当に日本の心理療法とはこの3つしかないのだろうか。日本でも数々の臨床実践がなされてきており,独自の考え方や心理療法,工夫がなされてきた。それらは単なる欧米からの輸入にとどまってはいない。
さて,ここまでこの「はじめに」に,「日本」という言葉を何度使ってきただろうか。これを読まれている方は,私が,日本に対しての愛国心や愛着から,日本での発祥というものにこだわっているように感じられたかもしれない。もちろん私には日本に対して愛着がないわけではないが,何も日本にこだわりたい気持ちから本書を編集しているわけではないということを釈明したい。ここで,本書を編集するにあたって関心を持っている3つの事柄についてシェアしたい。

①日本人が日本で心理臨床を行うにあたり,クライエントの多くが日本人であること
②言語,地理,文化的側面(また時差の側面)から,日本から外部への発信が制限されやすいこと
③こころを扱うということの複雑さ,こころの健康(メンタルヘルス)の特殊性

このうち③については,第1章で詳しく述べたい。よって,ここでは①と②について言及することとする。まずは①について。Freudから始まる心理療法の多くは欧米からの輸入によるものであり,さらに昨今の比較的新しい心理療法の流れもまたそうである。それに対して,日本人が日本で心理療法を行う対象となるクライエントの多くは,日本人である。これまで欧米において生み出されてきた心理療法が,日本文化の中で,あるいは日本人に対して,同じように通用するかというと,同じように通用する部分もあれば,そうでない部分もあろう。私は家族療法をこれまで専門として学び実践を行ってきたが,家族療法で対象となる「家族」は,欧米との違いが大きく見られるところかもしれない。イエ制度,ムラ社会,ウチとソトという言葉で表されるような日本文化(あるいは日本という地域で生じている固有の現象など)を前提に,日本という文脈において心理療法,ひいては人のこころについて考えることは非常に重要であると考えられる。当然,英語と日本語の文法構造に真逆の部分が多いように,欧米と日本(あるいはアジア)とを対比させることで,何か新しい視点が見えてくる可能性は十分にある。
次に②について。日本では英語話者が少なく,また地理的にも島国であることから,「日本に住む日本人」として,他国との交流が難しかったという側面がある。ここ数十年においては日本においてもグローバル化が進み,インバウンドやアウトバウンドが増えているとはいわれるものの,比較的には日本人の海外や外国語に対する心理的障壁は低くないことがうかがえる。実際に国際学会に参加しても日本人と出会う確率は極めて低い。(先日,2021年11月に,ダイアローグにかかわる日本発信の新しいオンライン国際会議の実施運営を試みた。その際に感じたこととしては,インターネットを介することで海・国境を越えて,また同時通訳を利用することで,言語を超えての交流が可能である一方で,日本が英語圏(主にヨーロッパやアメリカ)と地理的に離れていることから,共通言語としての英語での国際会議であるにもかかわらず,時差によって時間帯をどう設定するかが非常に悩ましかった。)
以上のように,本書では日本において日本人のクライエントに対して行っている工夫,それによって生み出されてきた心理療法の数々について,まずは日本人向けに発信を行うことで,日本で独自に行われる工夫の可能性を読者のみなさまと共有したい。また,遠くない未来には本書の内容を日本国外へ向けても発信できればと願う。さらに,このような試みが,こころの健康(メンタルヘルス)という複雑なものに対する新たな視点を形成していくことで,多様性を持ったヒューマニスティックな心理支援へとつながることを期待している。

2022年9月
一般社団法人国際心理支援協会 代表理事 浅井伸彦

 

 


おわりに

 

「あたらしい日本の心理療法」とはいったものの,「日本の」などといったガラパゴス的実態は今日のようなワールドワイドでボーダレスな世界のなかであり得るのだろうかと第2章で話題提起してみた。こういった興味を持って本書の執筆・編集に挑んだ。本書に収められた各章を読んでいくと,それらは欧米の心理療法やインドに始まる仏教など,世界と繋がっていることが明らかだ。あたりまえのことだが,日本はガラパゴスではなかった。それでは「日本の」心理療法とは,いったいどんな意味をもつのだろうか?
ガラパゴスから少し視点を変えてみると,これらの心理療法は日本語で執筆されており,また日本語で着想されているように思われる。日本語で何かが語られるとき,語られた内容は「日本の」になる。このあたりまえのようで不思議にさえ感じられる実態について少し考えてみたい。
英語には「こころ」にあたる表現が存在しない。Mind(mental)は,どちらかといえば「頭脳」を指しているし,heartはあまりにも情緒的で通常は学術論文などでは用いられない。♥を連想させる表現である。それでは「心理学」はどう表現されているのか。Psychologyの最初の部分psych(psyche:プシケ)は実はギリシャ語である。英語には適切な表現が存在しないため,ギリシャ語を用いる必要があったのだ。Carl Rogersが気持ちはorganicであるとしていたり,Eugene Gendlinが気持ちはbodily feltであるとして,気持ちが「有機体的」(Rogers)であったり「カラダ」(Gendlin)で感じられるといった表現を用いて指しているものは論理や頭脳的な認識ではなく,日本語の「こころ」に当たるように思われる。「有機体的感覚」よりも「こころが感じる」「カラダが知っている」よりも「こころが知っている」の方が日本語としてわかりやすい。「こころ」という一語を取り上げてみても,それは英語で表現することが難しい実態を指している。故に,日本語で語られたものは必然的に日本文化を言い表すものとなり,本書に収められている知見は「日本の」であると考えることができる。
では,それらはどのような意味で「新しい」のか? それを考えるにあたって最初に認識しておきたいことは,時代とともに日本語が変化しているということである。「はじめに」で浅井氏が執筆しているように,通常「日本の心理療法」と言えば森田療法(1919年),内観療法(1940年代)と臨床動作法(1960年代)が思い浮かぶ。その時代から,日本文化も日本語も変化してきた。1990年代半ばに筆者が書いた著作には「看護婦」という表現があり,今では違和感を感じる。調べてみると,2001年に「保健婦助産婦看護婦法」が「保健師助産師看護師法」に変わったことに伴って,「看護師」という表現になったらしい。法律の旧名称では,看護の仕事は女性の仕事であると決めつけていた文化が前提されており,今となっては不思議にさえ思える。
加えて日本語では外来語はカタカナ表記することができる。これとは対照的に中国語にはカタカナがないために,外来語も漢字表記する必要がある。筆者の専門領域「フォーカシング」は,「聚焦」(中国本土),「生命自覚道」(香港),「澄心」(台湾)などと漢訳されている。しかし,外来語に漢字を当てた場合,漢字がもつ意味連関が際立ってしまい,その外来語の意味するところは漢字の意味に解釈されてしまう。日本語では「フォーカシング」が何だかわからないままその語を使用することができるメリットがある。本書の第5章「ホログラフィートーク」や第9章「ホロニカル・アプローチ」といったように,カタカナ表記されているものは「ウ? これはなんだ?」と,その未知への興味を誘う。
他方,第3章の章題「タッピング・タッチ」にあるように,今となっては「タッチ」は外来日本語として機能している。野球の「タッチ・アウト」はもちろん,最近は「タッチペイ」式のクレジットカードも登場している。「タッチ」という語を,辞書を使って「触れる」「接触する」「軽くたたく」「押す」「手を付ける」「口にする」などに訳さない方が正確に理解できる。インターネットのみならず,世界との交流が増えていく一方の日本文化にあっては,カタカナ外来語がますます増えていき,日本語として機能し始める。すなわち日本文化はどんどん変わっていき,常に更新されているのである。『あたらしい日本の心理療法』はこのように更新し続ける文化における今日のオリジナルな心理療法の試みを描き出した一冊である。

関西大学教授 池見 陽

 

 

 

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