対人援助を心理職が変えていく──私たちの貢献と専門性を再考する

対人援助を心理職が変えていく
──私たちの貢献と専門性を再考する

(臨床心理士・公認心理師)髙松真理 著

2,000円(+税) A5判 並製 120頁 C3011 ISBN978-4-86616-142-6



 

心理職のプロフェッショナリズムを考える

臨床心理学の考えと心理職の実践は,精神医療や福祉,教育に影響を与えてきた。それは,どの程度のものだったのか。今後,よりよい対人援助を多職種のなかでめざすときに,心理職はどう考えればいいのか──。本書は,「心理職のプロフェッショナリズム」について,まとめたものです。
著者は,精神科での心理職として長年臨床を行い,大学教育や産業臨床,司法関係などさまざまな現場でも活動をしてきました。
この本は,その間に考えてきた著者の現場感覚から生まれた臨床や支援のヒントをまとめたもので,多くの対人援助職に必須の心理臨床から生まれた知恵が詰まっています。

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主な目次

はじめに
 コラム1 「援助」「支援」という言葉について

第1部 精神神経科医療から対人援助を考える
序章 適応とは? そして幸せとは?
Ⅰ 情緒的成熟ということ
Ⅱ 資質を活かす,ということ

第1章 精神神経科患者の生きづらさは何に由来するのか
Ⅰ 患者さんが抱え(させられ)てしまったテーマの見えづらさ
Ⅱ 患者さんとスタッフに起こる「悪循環」
  コラム2 本書における「カウンセリング」「心理療法」「心理支援」「心理面接」「心理臨床」

第2章 他人の人生に「口出し」をするということ
Ⅰ 生きていき方への「口出し」について
Ⅱ 支援行為そのものにある陥穽
Ⅲ 心理的精神的支援における「他人の人生への『口出し』」について

第2部 対人援助を心理職が変えていく
第1章 心理専門職の姿勢と技術
Ⅰ 心理的見立て
Ⅱ 徹底した共感
Ⅲ 自身の内界を見つめること・認めること
Ⅳ 介入技法
Ⅴ 言葉を武器にすること
Ⅵ 集団についての理解
Ⅶ 他職種との連携

第2章 対人援助の勘所,そして心理専門職の貢献
Ⅰ チームで活動する
Ⅱ 自分の気持ちを率直に認める
Ⅲ 相手の気持ちの成り立ちを想像する習慣を身に付ける──特に「理不尽な怒り」について
Ⅳ 構造的に「上下関係」を孕むことを知っておく
Ⅴ 言葉に鋭敏でいようとする
  コラム3 支援者側の権利について

私の臨床観を形作ってくれた本や先達たち
おわりに



著者略歴

髙松真理(たかまつ・まり)
臨床心理士,公認心理師
立命館大学産業社会学部産業社会学科卒業。九州大学教育学部聴講生時代より単科民間精神神経科病院勤務を開始。臨床心理士として,個人カウンセリングおよび集団精神療法(主としてデイケア)に従事。その後,久留米大学医学部精神神経科学教室助教・心理カウンセリングセンター主任を経て独立。久留米大学非常勤講師のほか,精神医療・教育・産業・司法の分野等で,臨床および教育活動に携わっている。
共著書:『サポート・グループの実践と展開』(金剛出版),『公認心理師実践ガイダンス3 家族関係・集団・地域社会』(木立の文庫)など。

 


はじめに
──心理職のプロフェッショナリズムが,対人援助を変えていく

私は,これまでに臨床心理士として38年間,主として精神神経科領域で働いてきました。2010年からはフリーの形態になり活動領域を広げ,また制度発足初年には公認心理師資格も取得しています。後半は学校や企業など,いくつかの領域での活動体験もあるとは言え,長年の現場は精神神経科病院であり,自分らしさを一番活かせるのもこの領域だと自認しています。
私には,今でも鮮明に覚えている衝撃的な光景があります。心理職としての勤務を希望し,初めて精神神経科病院を訪れた20代前半の時のことです。移動中広い廊下に差し掛かった際,右手にある衝立からはみ出すようにして,全裸の女性たちの姿が見えました。どうやら患者さんたちの入浴時間であったようで,脱衣直後か着衣直前の患者さんたちが,大浴場の入口前に立っていた,というわけです。
もちろん,女性だけでもおそらく100名を越えていたであろう患者さんの数を考えると,大勢で一緒に入浴する,という慣例自体はやむを得ないものだったと思います。私が驚いたのは,見慣れぬ人間であるはずの私の存在を,誰も─全裸の患者さんたちも,見守っている看護者さんたちも─意に介することなく,平然とした様子で入浴行動が進められていったことです。
精神神経科のことなど何も知らなかった当時の私は,想像したこともなかったその光景を見た瞬間,いろいろなことを考えました。精神神経科病院ではこういったことが当たり前なのか,この光景に慣れてしまった患者さんたちは羞恥心を忘れ,そしてスタッフは患者さんの人権について鈍感になっていくのか,これは「当たり前」のことでそれに驚く自分が間違っているのか─。いやきっと患者さんの中には恥ずかしくて仕方がない人だっておられるに違いない,でもここではきっとこうやって「全裸で廊下に立たされる」ことをイヤとは言えないのだろう,スタッフ側はこれを良しと思って対応しているのだろうか……。そして次に浮かんだのは,「私は,この光景に慣れてしまわないようにしたい」という思いでした。その場ではこちらも知らぬ顔をしながら,私は心中秘かに,「いつまでも,この光景はおかしいと思える感性を持ち続けたい」と思ったのです。
それからの日々の中で,果たして私は当時強く思ったように,「この光景には慣れない自分」でい続けることができてきたのか?─この問いに迷うことなくyesと答えられる自信は,私にはありません。ただ,その後この領域で仕事を続けてきて,私は次のような思いを膨らませてきたのです。

・ 精神神経科臨床の中には,スタッフを油断させる陥穽(落とし穴)がいくつも存在している
・ しかし,だからこそ,ここで働く心理職がその活動の原点を見失わないように踏み留まることは,自身が「プロフェッショナルな心理職」として育っていくことに直結する
・ そしてその過程は,他職種のプロフェッショナリズムにも少なからぬ影響を与えられる

私は本書で,精神神経科医療のあら探しをしたいわけではありません。ただ,この領域では,その対象者の方たちが─支援者として存在するはずのスタッフとの関係も含めて─幾重にも背負わされてしまった独特のつらさがある,というのがまごうことなき私の実感なのです。ですからまず一度,精神神経科領域にある特殊性(一体,何が・なぜうまくいっていないのか)を整理してみたいと思いました。そして,その上で私たち心理職のプロフェッショナリズムについて整理していく作業は,あらゆる対人援助職がより良く機能していくことへの貢献にもなる,と考えたのです※。
こういった思いから本書の執筆は始まりました。上記の発想の流れにより,本書は2部構成となっています。まず第1部では,精神神経科医療現場でのいくつかのシーンを紹介しながら,この科に凝縮して現れがちな「不適切な対人援助」について考えていきます。それを受け第2部では,心理職の専門性について考察した上で,それらがすべての対人援助職の質の向上に資するのだという観点から,5つの提言をしていくことにします。
本書では,お伝えしたい内容がよりわかりやすくなればと思い,いくつかの症例やエピソードを掲載しています。言うまでもないことですが,それらはすべて私がお会いしてきた,あるいはスーパーヴィジョンや症例検討会で知った,多くの患者さん・クライエントさん像をベースに創作したものであることを,念のためにお断りしておきます。
なお本書は学術書としては記しておらず,言わば私の体験と実感がそのベースとなっています。そのため,文献からの引用を多用して論理を組み立てる,という方策は取っておりません。とは言え当然のことながら,述べる内容には私が折々に読んできた本や論文などが大きく影響をしています。こういった背景から,「文献」については以下のように扱うこととしました。①私の主張や提言を裏付けたり説明をしたりするために,という理由で文献を紹介・引用するという作業は基本的には行なわない。②私の臨床観に大きな影響を及ぼしたと自覚している本・著者については,巻末にまとめて紹介し,私の理解やコメントを記す。③ただし,本文中で触れておくことが適切であろうと思われる場合は,著者名や内容について都度紹介をし,引用部分を〈 〉で括った上で章末に文献を記す。
最後に,私の臨床的な立場と本書のそれについてご説明をしておきます。さまざまにある心理臨床の立場の中で私は,「心理力動的立場」と呼ばれる考えに拠って対象者の方たちについて考え,支援してきました。そのため,本書で述べる対象者についての理解や説明は,その立場の視点からの影響を大きく受けています。しかし本書の執筆にあたっては,可能な限りその立場に拘ることなく,あらゆる心理臨床観を持つ人に共通するものを探す,言わば本質に近づくアプローチを試みたいと思いました。その試みが幾許かでも成功していれば,と今は祈るような思いでいます。

 

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