物語がつむぐ心理臨床 こころの花に水をやる仕事

物語がつむぐ心理臨床 オンデマンド版
こころの花に水をやる仕事 

あさ心理室 三宅朝子著

定価2,000円(+税)、228頁、四六判、並製
C3011 ISBN978-4-904536-49-0(初版)
C3011 ISBN978-4-86616-096-2(オンデマンド版)

10の心理療法をめぐる物語

「不妊治療を機に摂食障害になった母親」「ミヤケを訪ねてたった一人でクリニックにきた少年」「解離になるしかなかった中学生」「激しいボーダーラインの 女性」「抑うつになって初めて向き合うことになった夫婦」「癌による死を前にセラピーを求めた家族」─クリニックにやってきた,10のケースをめぐる物 語。美しい言葉と繊細な表現を通して,心理臨床のリアルが語られる。

……彼は私をみると、急いでポケットに手をつっこんで何かを探した。何やら紙を取り出して広げて私に見せた。それは皺くちゃになった一万円札だった。
「ミヤケを一つ頼むわ! 金、じいちゃんにもらったお年玉だけど。このくらいあれば足りるか?」
彼の額に汗がにじんでいた。
私は驚いて、「ミヤケを一つ?」と聞きなおした。
彼は、話がすぐに通じない事に少しいらついた調子で続けた。
「オレの友だちがミヤケをやってるって。そいつすごく良くなったんだ。おれもいろいろ困っていることがたくさんあるからさ。ミヤケをやりたいんだ」

本書の詳しい内容


おもな目次

第1章 大寒(だいかん)──不妊治療を機に摂食障害に陥った女性

第2章
 啓蟄(けいちつ)──身代わりの子どもと世代間伝達

第3章
 立夏(りっか)──精神分析的プレイセラピーの中で築くもの

第4章
 入梅(にゅうばい)──母親としての自己愛を支える親面接

第5章
 半夏生(はんげしょう)──思春期事例とその治療的中断

第6章
 大暑(たいしょ)──破滅の不安の中に生きる精神病の男性

第7章
 二百十日(にひゃくとおか)──境界例の女性を抱えることと治療者の夢

第8章
 秋分(しゅうぶん)──抑うつを訴える中年女性の喪失と再生

第9章
 霜降(そうこう)──ある初老期夫婦の心理的共謀

第10章
 大晦日(おおつごもり)──死に逝く者のかたわらに臨むこと


序(成田善弘)

校正刷の「はじめに」を見たら、冒頭に「この本は入門書である」とあったので、ちょっと心配になった。よい入門書を書くことは実はたいへん むずかしいことである。高度な専門書を書くよりもむずかしいかもしれない。専門領域の知識が十分にあり、その知識が経験を通して身についたものになってい て、なおかつそれをこれからその領域に入ってこようという人たちに、専門用語に頼らずにわかりやすいことばで簡潔に書く必要があるからである。小説家・評 論家の丸谷才一氏が、入門書を選ぶなら「偉くない学者の書いた厚い本」は捨てて「偉い学者の書いた薄い本」を読めというのはそういう意味である。正直言っ て三宅さんにそこまでの用意があるかしらと心配になったのである。
ところが読んでゆくと、クライエントの人生の物語に惹きこまれて、入門書ということなど忘れてしまう。不妊治療をする女性に始まり、少年期、青年期、中年 期、老年期、そして死にゆく人に至るまでの一〇人のクライエントがそれぞれの人生を語っている。これらの事例は、クライエントの匿名性を保持するために複 数の事例から合成したり、一部創作したものだというが、作り物という印象はまったくない。そこにはまちがいなく生きた人間がある。三宅さんが多くのクライ エントと面接を重ね、その経験が血肉になっているからこそ、こういうことができたのだろう。
一人ひとりの物語の中に、その人の誕生、成長、成熟、そして病と死が語られているが、一〇の事例を通読すると、そこに人間の生涯が浮かび上がる。現代の医 療が人の心に目を向けられなくなっていることへの三宅さんの痛みと悲しみも伝わってくる。私はこれを読みながら、自分のみた何人かの患者のことを思い浮か べたし、それぞれの年齢での自分の生活、仕事、病、出会った人たちのことを思い出した。そこに人生の四季がある。三宅さんはそれを自然の四季の移りかわり と重ね合わせて書いている。三宅さんが自然の季節の移りかわりを感じとり、しかもそれを表現する美しい、そしてなつかしいことばを豊かにもっていることに 驚嘆した。本書の見出し語から、私は今まで知らなかった季節をあらわす美しい日本語をいくつか学んだ。
三宅さんがかつて働いていたクリニックは、広い田園の中にあり、クリニックの白い建物は木々に囲まれていた。春には桜が咲き、夏には蝉が鳴き、秋には稲穂 がみのり、冬には雪があった。三宅さんは日々そういう自然の移りかわりと自然とともに生きる人たちを見ていたのだろう。
人の人生にも四季がある。三宅さんはそれぞれがそれぞれの季節にふさわしく生きることができるように、見守り、そっと背中を押すことを学んだのであろう。そして詩人の魂をもって、人間の生涯と自然の移りかわりを重ね合わせるようになったのだろう。
ところどころに精神分析の専門用語の説明がある。転移、逆転移、対象関係、解離などの専門用語が三宅さん自身のことばでわかりやすく説明される。もちろん 先人のことばもいくつか引用されるが、いずれも三宅さんの身体をくぐり抜けたものだから、三宅さん自身のことばになっている。読者は、対象関係とはこうい うことなのか、転移解釈とはそういうふうに言うことなのかと目からウロコが落ちる思いがするであろう。また、たとえばクライエントを「抱える」とは一体ど うすることなのかと、専門家の使うことばの意味をあらためて問い直してもいる。三宅さんがことばについてつねに考え、ことばを大切にしていることがよくわ かる。こういうところは私自身たいへん勉強になった。
ただし、三宅さんの本意ではないかもしれないが、こういうところはとばして読んでもいっこうにさしつかえない。そういう解説を読まなくても、クライエント と三宅さんの織りなす物語の中に入ってゆくには何の支障もない。まず物語があるのであって、専門用語が先にあるわけではない。専門用語は物語の深さと意味 をむしろ限定してしまうこともある。
三宅さんはところどころで仕事場の状況を描写したり、自身の見た夢を語ったり、亡くなったお母さんを思い出したりしている。そしてそれがクライエントの物 語と織り合わさって、三宅さんのクライエント理解を一層深いものにしている。読者は一〇人のクライエントの物語を読むと同時に、臨床家にしてかつ詩人であ る三宅朝子の人生にふれることになるであろう。


はじめに

この本は入門書である。というよりも、入門書の前に手にする本である。いや、もしかしたら、入門書のかたわらに置いて時々ながめるのもよいかもしれない。 はたまた、入門編を終えてから、じっくり読んでみてもよいかもしれない。いずれにしても、これは事例を通して精神分析的な心理療法を紹介し解説をしている 本である。
入門書といえば、通常は系統的にその概念や理論を紹介し解説をしているもので、今まで多くの心理臨床や心理療法の入門書が出版されている。それぞれに特長 があり学ぶべきところが多い良書がたくさんある。しかし、初学者にとっては、それを最後まで読みこなすのはとてもエネルギーが必要で、また通読できたとし ても実際の臨床実践にどうつなげていけばよいのか道筋が見えないこともある。特に精神分析的なケース理解は「用語や理論が難解だ」と手ごわく受け取られ て、敬遠されてしまう向きもある。確かに口に入れれば簡単にこなれて消化できるという類のものではないが、実は噛めば噛むほど味わい深く、臨床実践に大い に役立つものだと私は思っている。精神分析的な心理療法は、治療者とのこころの交流の中で、人が真に自らの物語をつむぐという自己探求の方法として貴重な アプローチといえる。しかし、その醍醐味を実感する機会もないまま、羅列された専門用語の前でため息をつき、その門前で背を向けて離れて行ってしまう人が いることを、私は常々残念に思っている。
このような思いから、現場に身を置くような臨場感をまずは体験できるような描写を試みた。人の心の奥深さと、それが浮かび上がり、さらにつむがれるプロセ スが、リアルに感じられるよう事例の表現方法に工夫を凝らした。それらは、私が十八年間常勤の臨床心理士として勤め終えた、名古屋市近郊の都市にある精神 科クリニックでのものである。私の臨床実践は主に個々への心理療法で、老若男女、病態も神経症から、人格障害、精神病など、幅広い層を対象としていた。事 例をとりあげ、治療者自身の赤裸々な心情や内省はもとより、その治療関係から引き出された治療者自身の空想もビビッドに表現をした。フィクションのように 見えるかもしれないが、表現方法のひとつと捉えていただければうれしい。
事例の紹介のみならず、随所にその背景にある理論や概念の紹介をしている。それらの中核は、おおむね精神分析的理論、特にクライン派を代表とする対象関係 論である。また、心理臨床の現場でぶつかることが多い微妙な問題についても、理論の羅列ではなく事例に即して取り上げている。比較的精神分析に馴染みのな い人にも咀嚼しやすい表現を心掛けたつもりなので、初学者の方でも、立ち止まることなく戸惑うことなく、そのプロセスをたどり理解することができるかと思 う。今まで精神分析的な用語に及び腰であった方たちも、この本を通してそこに出てくる概念や理論に、さらに興味を持ってくだされば幸いである。
この本との出会いが、読者の臨床実践に新しい可能性と明日への活力を見いだすきっかけになることを願っている。また、初学者のみならず、すでに臨床実践を積み重ねておられる方の目にとまり、少しばかりの刺激剤になれば望外の喜びである。
なお、この本に事例として登場する人の名前は、当然のことながら全て仮名である。クライエントの秘密保持のために、よく似た複数のケースの合成をして、個人やその関係機関を特定するような特徴には相当大幅な削除や修正・創作を行っていることをお断りしておきたい。


あとがき

目を閉じる。するとそこに、さまざまな場面が映る。その現場である精神科クリニックの常勤職を、私は昨春に辞した。このクリニックは今 や診療方針の変更がなされ、心理療法を中心にした診療体制にはない。私は、退職の際にその十八年間の仕事を振り返り、百ケースあまりのカルテや心理療法の 記録を読み返した。それは私が臨床家として出会った人たちのほんの一握りに過ぎない。顧みれば、多くの患者さんがつむいだこころの仕事はとても奥深いもの だ。新たな場で歩み始めたとはいえ、そこでの経験を心の片隅で風化させることを忍びなく思い、私は書き始めた。何かに憑かれたように書き、おおむね十月十 日で、この原稿を産み落とした。
原稿が完成して改めて感じるのは、貴重な場に立ち会う機会を授け、その営みを通して臨床家としての私に多くの学びを与えてくれた患者さんたちへの深い感謝 である。また、私が自由に創造的に精神分析的な心理療法に従事できたのは、実践の場を与えてくださった精神科医吉田光男先生の柔軟な包容機能のおかげであ り、改めてお礼を申し上げたい。のみならず、日々その脇を固めるクリニックのスタッフの方々の存在はとても心強く、彼らの汗と臨床魂に深く敬意を表した い。
私は、実に多くの方によって、臨床家として鍛えられ、導かれ、育てられた。一人ずつお名前を挙げてお礼を申し上げるには、もう一冊本ができてしまうほど紙 面が必要である。残念ながらこの場では十分な意をお伝えできない。ここでは、私の臨床にとりわけ大きな影響を与えてくださった数名の先生のお名前を挙げ、 感謝の意を示したい。駆け出しの頃からお世話になっている渡辺雄三先生からは、臨床のこころと臨床家がものを書くということの意味を教えていただいた。ま た、成田善弘先生のご指導を通して私は精神分析的な理論を目前の患者のために生かす姿勢を学んだ。そして、木部則雄先生のスーパービジョンの中で、私は対 象関係論やクライン派児童分析の魅力に出会うことができた。師のみならず、私は多くの仲間や研修の場にも恵まれた。名古屋の「病院心理療法研究会」の仲間 の励ましや、小泉規実男先生を始めとする「東海・中部精神分析セミナー」のメンバーからの刺激は、大きな力となった。バイジーの方からの素朴な問いかけか らも有益な手がかりを得た。こうして多くの方から、ありがたくも頂いた栄養がこの本を生みだす土壌になっている。
加えて、家族の助けを抜きにはできない。特に夫は、心理臨床に奮闘する私の日常を支え、今回の原稿に対しても多くの示唆を与えてくれた。彼の十八年間の支援なくして、仕事の継続も本稿の完成もなかったと思う。
少々個性的な面立ちで産まれたこの原稿を何とか社会化させたいという私の切なる願いを、遠見書房 山内俊介氏が快く受け入れてくださった。そして、鮮やかな手際でその臍の緒を切り落とし、丁寧かつ迅速に出版へと導いてくださったことに、心から感謝の意 を伝えたい。また、成田先生には始歩を支える序文をいただき、ここで改めてお礼を申し上げたい。
今、私の身を離れてひとりで歩き出したこの本が、読者のもとで新たな意味を付与され、さらに大きく成長することを願ってやまない。

二〇一二年 亡き母の墓前に捧ぐ 三宅朝子


著者略歴

三宅朝子(みやけ・あさこ)
愛知県生まれ,臨床心理士,日本精神分析学会認定心理療法士
1988年 名古屋大学大学院教育学研究科博士前期課程修了
医療法人資生会 八事病院(常勤)
1992年 医療法人秋桜会 吉田クリニック(常勤,心理療法室主任)
名古屋大学医療技術短期大学部 非常勤講師などを兼任
2011年~ 私設心理相談室 あさ心理室 開設(現在)
人間環境大学などの大学や医療系専門学校の非常勤講師,保健所の乳幼児健診心理スタッフを兼任(現在)
【著書】
「仕事としての心理療法」(共著,人文書院,1999)
「臨床心理学にとっての精神科臨床―臨床の現場から学ぶ」(共著,人文書院,2007)
【主要論文】
「治療者交代についての一考察―ある境界例女性の事例を通して」(心理臨床学研究 16 (3), 1998)
「疾病恐怖,引きこもりの青年男性の心理療法過程」(精神分析研究 45 (4), 2001)
ほか

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