対象関係論の源流――フェアベーン主要論文集

対象関係論の源流
――フェアベーン主要論文集

W. R. D. Fairbairn 著
相 田 信 男 監修
栗 原 和 彦 編訳

定価5,000円(+税) 424頁 A5判 並製
ISBN978-4-86616-031-3 C3011
2017年9月20日発行

フロイト以降、現代の潮流を基礎づけた孤高の精神分析家フェアベーンの主要論文集

本書は,「対象関係論」という言葉を初めて用い,フロイト以後の精神分析学の理論的な整備と発展に大きく寄与した独創的な臨床家フェアベーンの主要論文集である。
フェアベーンは,従来の精神分析理論を補完・発展させ,フロイトやクラインの主張に対して,「リビドーは一義的に快楽を求めているのではなく対象を求めている」「こころの基本的なポジションは常にスキゾイド的なポジションである」と主張した。また,独自の精神構造論を確立するとともに,より治療的・臨床的な道具としての精神分析を目指し,生涯にわたって対象関係論の推敲に情熱的に取り組んだ。
フェアベーンの主要な論文を収載した本書は,没後50年を経てもなお色褪せないフェアベーンの対象関係論の深化と彼の思考のプロセスを辿ることができる貴重な一書である。


まえがき  相田信男

本書は,W. Ronald D. Fairbairn著により1952年にRoutledge & Kegan Paul Ltd. から出版された“Psychoanalytic Studies of the Personality”においてPart Oneに収載された論文の全編に加え,この著書が刊行された後から著者が没する前年までに発表された彼の諸論文から選出したものを翻訳し,全体を編集した,その意味でFairbairn自身の論文をもって彼を紹介した書物としては世界に一つしかない著書である。全ての日本語訳また編集そして解題は,栗原和彦氏の長年の研究,努力の賜物である事実を最初に紹介しておきたい。
そもそも私自身が本書所収の「人格におけるスキゾイド的要因」(1940)に触れたのは,今や故人となられた小此木啓吾先生が主宰されていた慶應義塾大学医学部精神神経科学教室内の心理研究室にその居を置いた「火曜グループ」と呼ばれる小さなグループの仲間たちと,小此木先生のご指導の許,H. Guntripや,M. Kleinの著作と並んでFairbairnのそれを抄読した機会が最初だったと記憶している。こうした勉強の延長で1979年発刊の『現代のエスプリ148 精神分析・フロイト以後―対象関係論をめぐって』に載せた解説と抄訳が,私が世に向かってFairbairnについて案内をした最初の経験になった。やがて私は栗原和彦氏と,桜ヶ丘保養院(現・桜ヶ丘記念病院)で精神科医と臨床心理士として出会い,改めて時間をかけてFairbairnを共に読む時間を持つようになる。この作業は殊に,1983年発刊の『近代精神病理学の思想』に共著でW. ReichやG.G. Clérambault,門脇眞枝らと並んでFairbairnを紹介するという仕事をいただくところに繋がり,さらにその後の私のFairbairnに関する仕事へと発展していった。一方私たちはFairbairnの著作を翻訳し大手出版社から発刊してもらうという夢を抱いたのだが,その後の顛末はこの度「編訳者あとがき」に触れられている通りである。ちなみに私自身によるFairbairn紹介の仕事は1995年発刊の『現代のエスプリ別冊 精神分析の現在』に掲載の記事へと集約していった。
そこに私は,「そもそも対象関係論とは,S. FreudとM. Kleinに発しながら彼らの理論構成を批判しつつ,他方彼らに認められた対象関係的含蓄を改めて概念づけた,Fairbairn, H. Guntrip, D.W. Winnicottなどを含めた流れである。ただし対象関係論としての明確な出発点はFairbairnが1940年代から1950年代にかけて発表した自らの理論を“対象関係論object relations theory”と呼んだところにある」と述べたが,今日ではそうした解説は不要なほどに対象関係論という用語自体が広く知られていると思う。この記事に続いてJ.S. Grotstein and D.B. Rinsley (1994)に倣って私は,Fairbairn以後の,彼の理論に通じる,あるいは影響を受けたと考えられる人々として,R.D. Laing, O. Kernberg, M. Mahler, E. Jacobson, J.F. Masterson, D.B. Rinsley, J. Bowlby, W.R. Bion, H. Kohutらの名を挙げた。比較的最近ではT.H. Ogden(2010)が,かねてFairbairn理論に暗黙の裡に含まれていたところのさらなる発展に着目するという観点から,自らの臨床例を通じて改めて行ったFairbairn紹介をピックアップしておいてよいだろう。
ところで今般,翻訳編集の作業過程で栗原氏は「通常,解題で取り上げられるように,Fairbairn理論が精神分析の世界に与えた影響とか,Fairbairnをめぐる論評や総括を展望するといった,より理論的な考察でなく,臨床的意義を問うところを中心とした解題」(趣旨は引用者)の執筆を試みられているが,この意思と内容に私自身大いに賛同し,またこの解題を編んだ栗原氏に敬意を表する者である。ちなみに栗原氏には,前述のJ.S. Grotstein and D.B. Rinsley(1994)などを評価しつつ,夢の分析という切り口からしたFairbairn解説の優れた仕事がすでにある(栗原,1997)。紹介しておきたい。
そこで無論,上述の「解題」編纂の意図を尊重しつつ,しかるに読者の理解促進を幾分ともお手伝いできるのではないかと考え,先に掲げた相田・栗原共著による1983年発刊記事を基にして,以下にFairbairn自身に関する多少の紹介を試みたい。というのも精神分析に限らず,私たちがある人の理論や思想を理解する上で,その人物の生い立ちや個人史を知ることが大いに参考になると考えるからである。ちなみにまたある人の理論を理解し学ぶ際には,その理論家への同一化とも言える態度が一時期必要な気もしている。もちろんこう述べた通りばかりとは限らないのだが,ことFairbairnに関する限りそうした思いを強くした体験を私自身が持つので,いささか押しつけがましいかもしれないが彼の生活史について触れていきたいと考える。

Fairbairnは1889年にスコットランドのエジンバラに生まれ,弁護士を志してエジンバラ大学に進んだが卒業後は哲学で学位を受けた。さらに複数の大学に留学し神学も学んだものの,やがて勃発した第一次世界大戦は彼の運命を大きく変えたようである。士官だった彼の戦争体験は細かく語られてはいないが,後にその理論を打ち立てる際に一つの重要な臨床的背景となった戦争神経症をこの大戦中に見知ったものと推測される。彼は戦争中すでに臨床的な精神療法家への道を志し,復員後エジンバラ大学医学部を卒業,医師の資格を得て,1924年に精神分析の個人開業に踏み切った。そして開業のかたわら同大学の心理学講師の仕事に就いたが,当時の大学の雰囲気は彼の努力にもかかわらず精神分析的見解や洞察を受け入れるようなものではなかったらしい。ただ数年して大学退職後に関わった児童心理クリニックでは,非行や虐待などさまざまな問題を持った子どもやその親たちとの出会いを通して,子どもはどんな苛酷な親であってもまさにその親にしがみつこうとするという,実際の親子関係をつぶさに観察した。こうした経験が彼の理論構成に大きな影響を与えたことは想像に難くない。エジンバラ大学を離れた後のFairbairnにはいつも気軽に討論し合えるような親しい同僚もなく孤立しがちな状況にあった。彼は独学で学び続けたものの厳密な意味での精神分析的訓練を受ける機会を得られなかったが,英国精神分析学会はその業績を認め1935年頃に彼を正会員にした。こうした過程を経てその孤独で距離をおいた存在のわりにはFairbairnは英国の精神分析に対する影響力を持っていた様子である。
第二次世界大戦に前後する1940年代はFairbairnの理論的独自性が開花していった時期である。彼は重篤なスキゾイド的特徴を示す人々と取り組み,その結果得られたある心の内的状況を“スキゾイド(分裂的)ポジション”と呼んだ。これは精神発達上M. Kleinによる“抑うつポジション”に先立つより原始的な対象関係を表しているものだが,後にKleinはFairbairnの貢献に敬意を表して彼の見解を取り入れ,自らが定式化した“妄想ポジション”を“妄想-分裂ポジション”と改称した。以上の見解を彼は本著所収の第1章「人格におけるスキゾイド的要因」(1940),第2章「精神病と精神神経症をめぐる精神病理学の改訂」(1941)の論文に発表している。
またFairbairnは,戦争神経症を内在化された“悪い対象”との関係の転移として理解しつつ,悪い対象との関係の治療的意義を明らかにする推敲を重ねて,本著所収,第3章「抑圧と悪い対象の回帰(特に「戦争神経症」をめぐって)」(1943)という論文を著し,次いで第4章「対象関係の観点から見た心の中の構造」(1944),第5章「対象関係と力動的構造」(1946)の論文で,その人格構造論を集大成した。彼が示した心の中の構造は“もともとの自我”のスプリット(分裂)から生じるもので,分裂した内的対象関係と理解できるが,これは良い内的対象と悪い内的対象というKleinの概念に対する,構造論的見地からの修正を意味している。さらにFairbairnはその後自らの理論の発展過程を振り返り,2,3の修正,補足とともにこれら一連の論文をまとめ,冒頭に述べた単行本“Psychoanalytic Studies of the Personality”を1952年に発刊したのである。
だが同時にこの年,Fairbairnは3人の子を残したまま,突然妻に先立たれ,彼自身も悪性のインフルエンザに罹るなどしてその健康は徐々に下り坂となっていった。健康がすぐれなかった故だろう,Fairbairnは仕事も開業一本に絞り,1950年代後半になるとその著作は総括の段階に入ったように見える。やがて引退した彼は1964年の大晦日,静かにその生涯の幕を閉じた。享年,75歳であった。

最後に,監修者まえがきの頁にはいささか不釣り合いかもしれないと躊躇しつつ,一つのエピソードを記しておきたいと思う。栗原氏と私が,彼が「あとがき」に書いているように,遅々として進まない翻訳作業と,しかしそれなりに熱のこもった勉強を進めていた時代,もしもある日我々の翻訳が出版される日が来たら「訳者あとがき」にこう書こうと話し合っていた下りがある。それは「私たちがこの翻訳作業をしている冬に,ひどく寒い医局の部屋で,ストーブに石油を入れて下さった,当時の桜ヶ丘保養院院長・高山光太郎先生に感謝します」というフレーズだった。「そのように書こうね」と半分は冗談のように言い合うことで自分たちを励ましているところがあった。私たちはあの当時それぞれに,種々の中心から離れた孤独の地で人格の対象関係をめぐる臨床を理論化していったFairbairnに,(不遜ながら)同一化している気分があったのだと思う。また私は,Fairbairnによって描き出された患者たちに,どこかで親しみさえ感じていたようだと思い出している。
なお,Fairbairnの日本語表記を「フェアベーン」にしたところには,かつてエジンバラ大学に留学された西園マーハ文先生(白梅学園大学/慶應義塾大学)が帰国後に小此木先生との間で交わされた「Fairbairnはスコットランドでどう発音されていたか」というやりとりを私が聞き知った経緯があり,さらに今般,西園先生から改めていただいたアドバイスのお蔭がある。ここにお名前を記して謝辞に代えたい。
編訳者による「あとがき」でも触れられているが,私たちのこの度の作業には,さまざまな方々からいろいろと学んだという点だけからみても実に多くの方々のお世話になってきた歴史があると改めて深く感じる。種々に支えていただいたことが今さらのように次々思い出されて,尽きるところを知らない。複数の師,先輩,同僚,患者,クライエントたちに感謝申し上げたいと思います。
どうもありがとうございました。


目次
まえがき(相田信男)
第1部 対象関係論の展開
 第1章 人格におけるスキゾイド的要因(1940)
 第2章 精神病と精神神経症をめぐる精神病理学の改訂(1941)
 第3章 抑圧と悪い対象の回帰(特に「戦争神経症」をめぐって)(1943)
 第4章 対象関係の観点から見た心の中の構造(1944)
 第5章 対象関係と力動的構造(1946)
 第6章 人格の対象関係論の発展における諸段階(1949)
 第7章 人格構造に関する著者の見解の発展のまとめ(1951)
第2部 臨床論文
 第8章 ヒステリー状態の性質について考える(1954)
 第9章 Schreber症例からの考察(1956)
 第10章 精神分析的治療の性質と目標について(1958)
第3部 理論的考察
 第11章 精神分析療法の理論的,および実験的側面(1952)
 第12章 精神分析のいくつかの基本的な概念づけに関する批評(1956)
 第13章 Freud,精神分析の方法,そして精神の健康(1957)
第4部 対象関係論への講評に応えて
 第14章 人格の対象関係論を弁護するための考察(1955)
 第15章 Balint, Foulkes, Sutherlandのコメントに対するFairbairnの応答(1957)
 第16章 人格の対象関係論概観(1963)
解題―Fairbairn理論の臨床的意義についての一考察(栗原和彦)
付録 引用ケース一覧
あとがき(栗原和彦)


監修者紹介
相田信男(あいだ のぶお)
1971年 慶応義塾大学医学部卒業
1971年 慶応義塾大学医学部精神神経科学教室
1972年~1986年 社会福祉法人桜ケ丘事業協会 桜ケ丘保養院
1986年~1988年 慶応義塾大学医学部精神神経科学教室
1988年~現在 特定医療法人群馬会 群馬病院
1984年~2003年並行して,赤坂タケダクリニック,小此木研究所,外苑カウンセリングルームなどで臨床活動。1988年~2015年 慶応義塾大学医学部兼任講師。
現在:特定医療法人群馬会副理事長,群馬病院名誉院長。一般財団法人小寺記念精神分析研究財団理事。日本精神分析協会正会員・訓練分析家,同協会運営委員。Full Member of the International Psychoanalytical Association (Psychoanalyst)。日本精神分析学会認定精神療法医,同スーパーバイザー。日本集団精神療法学会グループサイコセラピスト,同認定スーパーバイザー,同学会監事。
主な著訳書:『実践・精神分析的精神療法―個人療法そして集団療法』(金剛出版,2006年,単著),「分裂病者の大グループの特徴」 in 『集団精神療法ハンドブック』(金剛出版,1999年,分担執筆),『精神分析事典』(岩崎学術出版社,2002年,分担執筆),Klein, M.「分裂機制についての覚書」 in 『メラニー・クライン著作集4』(誠信書房,1985年,共訳)

編訳者紹介
栗原和彦(くりはら かずひこ)
1979年 国際基督教大学大学院博士前期課程修了
1979年~1986年 桜ヶ丘保養院(現桜ヶ丘記念病院)常勤心理士
1986年~1995年 片山心理相談室
1995年~現在 代々木心理相談室
専攻:精神分析的心理療法,支持的心理療法
主な著書:『心理臨床家の個人開業』(遠見書房,2011年,単著),『心の相談 最前線』(誠信書房,2000年,共著),『心理臨床大辞典 改訂版』(培風館,2002年,共著),『精神分析学事典』(岩崎学術出版社,2002年,共著),『レクチャー心理臨床入門』(創元社,2005年,共編著)

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