心理臨床家のための事例研究論文のつくりかた──現場の体験を研究にしたいあなたへ

心理臨床家のための
事例研究論文のつくりかた
──現場の体験を研究にしたいあなたへ
著 者山川裕樹
出版年月2025年6月
ISBN978-4-86616-221-8
図書コードC3011
判型A5判・並製
ページ数176
定価2,600円(+税)
内容紹介

本書は,心理臨床実践に根ざした事例研究論文の執筆を目指す人へ向けた,実践的ガイドブックです。日々の臨床を学術的な知見にしたいと考えながらも,「論文のつくりかたがわからない…」その悩みに応えるヒントが満載です。
事例研究論文の「勘所」を,「前提編」から「倫理編」までステップ・バイ・ステップで解説。特に,全体のカナメとなる「研究目的」の重要性や,構成,先行研究の扱い方,考察の深め方など,より良いケーススタディを目指すためのポイントを追求しました。
事例研究をあなた自身の「創造的営為」として捉え,意義ある研究とするために,執筆時に立ちはだかる壁を乗り越えるアドバイスと示唆を提供します。

主な目次
はじめに

この本は,心理臨床実践に従事していて,実践を大切にした研究である「事例研究論文」を執筆したい,と考えている人に向けて,事例研究論文を書く上での勘所をお伝えするためにまとめました。
その話をする前に,少し,自分の話からスタートします。私は,大学院時代に研究論文をどう書いていいか分かっておりませんでした。
元々,理科系の思考法に馴染みがあったのですが,高校生時代に河合隼雄の本を読み,心理学って面白そうかも,というミーハーな気持ちで文系を選んで大学に進みました。臨床心理士の資格認定のスタートが1988年だというので,高校生の頃は「臨床心理士」という資格ができて盛り上がっていた時期になるかと思います。河合隼雄がいた京都大学になんとか入り込めたのですが,確か私の入学直前に定年退官されており,講義は聴かずじまいで終わりました(もう一年間だけは講義を持っておられるとかで,「河合先生の話を聴くために講義に潜りこむ!」と言っていた同級生がいるのを憶えています)。
こう書くと,河合隼雄に相当の憧れを持って入学したように思われるかもしれませんが,そこまで熱心な読者ではありませんでした。「まあ,そこそこ学んで,普通に就職しようかな」くらいのノリでの入学です。しかしいざ大学に入ってみると,「学部生はただの門前の小僧だ。臨床心理学は,大学院に入ってようやくスタートだ」とか言われており,京大の「自由の学風」という名のもとに何も指導されず,先生方との接点は講義を聴くくらいでした(今考えると学問的ネグレクトですね)。
仕方がないので,その当時はたくさん出ていた本をパラパラと読んではみますが,実践の裏付けがないので,確かに「門前の小僧」に過ぎません。折しもバブルがはじけ就活事情もやや寒くなってきたので,大学院に行かないと学んだことにならないなら院まで行くか,と大学院に潜りこみ,「よし,大学院に入ったので,先生たちから臨床の指導が受けられるぞ!」……と思った私の目の前に待っていたのは,ひたすらひたすら「カンファレンス」と名のつく授業でした。
インテーク・カンファレンスでは立派な教室に教員一同と大学院生すべてが集まり,この一週間で受理されたケースが報告されます。報告された初回面接に先生が少しコメントし(稀に紛糾し),そして次のケース。ただそのくり返しに過ぎません。ケース・カンファレンスという授業では,先輩院生たちのケースが報告され,そのあとに長時間のディスカッション……というとみんなが熱心に議論をしている姿を思い浮かべるでしょうが,私の当時の京大は,発表者がレジュメを読み終えたあとはみんなが沈黙し,時々先生がぼそっとつぶやき,訳ありげなコメントにみんなが頷く,という異様な空間でした(数年後の様子を東畑(2017)が描写していますがあまり変わっていないようです)。
大学院生になれば手取り足取りとは言わないまでも,臨床心理学の奥義やテクニックを口伝であっても教えられると思っていた私はひどく驚きました。なんだこれは。何がここで教えられているのだ。私はここで何を学べばいいのだ。先生は何かを教えてくれるわけではなく,「深いねえ」,「腰を据えて頑張ってください」などのただ意味ありげなコメントを呟いているだけではないか(と,その当時の私には思えていた)。これは教育と呼べるのか。
理科系の思考が中心だった私は,「学問」や「研究」を,体系化された知であって当たり前だと考えていたのでしょう。学部生の間にお預けを食らっていたこと,出来が悪かったので大学院に一年浪人したことも,私のほうで勝手に期待を膨らませていた要因になったのかもしれません。確かなものを何も教えてくれない大学院の授業はそこそこに,既存の研究会に参加したりあるいは院生仲間と研究会をしたり,のちには先生をけしかけて研究会を立ちあげたり(酔っ払った勢いで「授業だけじゃダメでしょう。何か研究会をしましょう」と絡みに行ったら本当にやることになり戸惑った記憶があります),「学び」を正規の授業以外で求めていました。
しかも,先生たちは何も確かなことを教えてくれないのに,途中から「皆さん,博士号をとりましょう。そのために学会誌に投稿するように」と言い出しました。大学院重点化とかで,課程博士を出していこうとする流れがあったようです。何を学んでいるかも分からないのに,そもそも授業らしい授業もないのに,論文なんて書けるわけがない。そう思って先生たちには,「ボクは“不投稿”大学院生なんです。フトウコウにトウコウ刺激を与えるのは逆効果ですよね?」と嘯いていたのですが,私の同期や下の世代たちは,ちゃんと論文を書き,学会誌に掲載され,課程博士をとっていきました。
白紙で出して「愚か者には読めないハクシ論文です」という冗談は思いつくものの,研究テーマも何も分からない。周りはある技法やある心性などのテーマを掲げて研究している。でも自分は,何を考えたらいいのか。修士論文は一応書いたものの,それを拡げていって心理臨床学/臨床心理学1)の研究として成立するのか。いったい臨床心理学とはどういう学問なんだ……と模索する中で,「そもそも事例研究って何してるの?」という疑問が浮かびました。
いや,スタート地点は,「事例を聴きながら,何を学んでいるのか」かもしれません。先ほど書いたよう,ひたすらカンファレンスと名の付く授業ばかりで,研究会でもケースをもとに考える。それを繰り返す中,確かに,何か,学んでいるのです。最初は何も分からず聴いていた事例も,大学院生活の中で,見えてくるものもある。先生の話も,少しずつ分かるようになる(こともある)。また,誰かのコメントを聴いて,ハッと事例理解の視野が広がるような体験も(稀に)ある。自分の実践を重ね,多くの事例に触れる中で,確かに,何か,学んでいる。でも一体,それって何?
分からないまま,お作法に則り事例研究論文を学会誌に投稿し,めでたく掲載されることもありました。でも,事例研究(法)が何をするのかは,分からないままでした。
結果的には,その疑問を元に,事例研究法をテーマとしていろいろ調べ,考えたことをもとに学位論文をまとめることになりました。元々は理科系の,デジタルの思考法に馴染んでいた自分が,アナログの極みとも言うべき事例研究法をテーマにするというのは不思議な感じもしますが,分からないからこそ研究テーマにしたようにも思います。理系の研究のような,フォーマットの定まった実験などによって見出される成果,ではない「研究」を,自分の中で腑に落ちる形にするためには,長い時間が必要だったのでしょう。
自分の話が長くなってしまいました。論文を書くのが苦手で,どこをどう押さえれば研究論文になるのかが分からなかったからこそ,お伝えできることがあるのではないか,というのが,本書の執筆動機にあります。おそらく,ナチュラルに事例研究論文をまとめられる人にとっては,本書は必要ないことでしょう。臨床現場で実践を重ね,何か研究としてまとめられるのではないかとの漠然とした感覚はあるけれども,何をどこからどうやって手をつけたらいいか分からない人向けに,本書は書かれました。
事例研究論文の執筆は,手探りです。調査や実験に基づく論文とは,発想が相当異なるように思います。私の論文執筆体験は,「漠然と感じているものを少しずつ言葉にしていき,自分の中で確からしいと思うものを見出していく」というものです。そしてどうもこれは,私が現在勤務している美術大学の学生たちとも通じるようです。自ら感じている「何か」を形にすべく,彼ら彼女らは作品制作をしていますが,そうした実体験を持つ学生たちに届くのは,私が臨床をし,それをもとに考究・研究を行っているところから生み出されたことばです。その意味で,事例研究論文の執筆は創造的営為なのでしょう。
この,事例研究が創造的営為であるという信念から,本書のタイトルを「事例研究論文のつくりかた」としました。「創り方」という漢字表記も考えましたが,ちょっと過剰な気もしたので,ひらがなで表記しています。事例研究論文の執筆というクリエイティブな活動における,みなさまのちょっとした導きの糸になれれば,とても嬉しく思います。
* * *
本書の構成は,以下の通りです。まず1章「前提編」として,そもそも事例研究をどのように捉えたらいいのか,ということをまとめました。やや理屈っぽいことも入っているので,具体的なことを早く知りたい人は省略してもらってもかまいません。そして,2章「助走編」として,まずは当該の事例をふり返り,論文執筆までにどのような準備をするかを書きました。当たり前ですが,事例研究論文は,実際の臨床事例がないと書けません。臨床実践があることを前提とした,「論文一歩前」の準備段階をここでは示したいと思います。次に,3~5章「執筆編 ①-③」です。ある程度まとまった事例を元に,「論文」という形に作り上げていくために,それぞれの論文パートごとで留意すべき点をまとめました。論文を書きあげるのは大変ですが,着地点と目標を見失わず進めていくための勘所をお伝えします。そして,6章「目指せ採択編」です。完成した論文を投稿し,編集委員会とやりとりする時の流れをここで示します。以上を論文執筆までの道のりとして,それ以外の話題を7章「研究倫理編」と8章「落ち穂拾い」として最後に載せています。「研究倫理編」では,事例研究にまつわる倫理上のテーマを考えてみます。事例研究をする上では,研究倫理をどう考えるかは無視することのできない問題です。大事なテーマだけれども論文執筆とは少し流れが違うので,うしろに持ってきました。そして「落ち穂拾い」では,論文完成までのステップなどの論文執筆にまつわるもろもろをまとめてあります。これらの流れを知ることで,皆さんの論文執筆の助けとなれば幸いです。
さて,本書の表紙にも,右に描かれているナゾのキャラクターが登場していたと思います。先に美術大学の所属であることに触れましたが,成安造形大学にはイラストレーション領域という専攻があり,領域のスタッフとして勤務する卒業生たちが専攻の先生をキャラクター化して,先生たちの日々の様子をTwitter(現X)にアップしている時期がありました。イラストの先生と仲のよかった私は「準レギュラー」的な形でそこに登場することがあり,その時のキャラクターが羊のメェ川先生です。当時の領域スタッフの森田存さんが全体を統括する企画者として,初代描き手・キャラクター造形をミヤギナツミさんが手がけ,ミヤギさんの退職後はかたおかもえこさんが二代目描き手を務めておられました。先生たちの様子を垣間見ることのできるこのシリーズは学生たちにも人気で,学内のイベントでグッズ化までされていました(2023年まではインターネット上にその痕跡が残っていたのですが,2024年に検索したら消えてしまってました……。もったいない)。
今回,この本をすこしでも親しみやすくする方法はないかな,と考えていたなかで,メェ川先生を登場させるというアイデアが浮上しました。企画者の森田さんに確認を取ったところ承諾が得られたので,現在イラストレーターとしてご活躍中のかたおかもえこさんにこの本のイラストを頼むことにしました。実際にお書きいただいたかたおかさんはもちろん,使用を許可いただいた森田さん,ミヤギさん,またそうしたご縁を作っていただいたイラストレーション領域の先生方にはここで改めて感謝の気持ちを申し上げたいと思います。ありがとうございます。
以上の経緯から,この本では時々メェ川先生が登場します。私の代理が,時折登場してイメージを視覚的に表現していると思っておいてください。美大にいながら私は絵がまったく描けないので,学生さんたちの視覚的発想や表現力には大いに学ぶところがあります。美術大学の面白さに引きつけられて離れられずにいる私としては,いつか自分の本を出すときには美大の要素がどこかに入ってくるといいなあ,と思っていたので,今回このようなコラボレーションができたことを大変嬉しく思っております。
* * *
事例研究論文の執筆は,決して楽ではありません。先にも書いたように,「臨床実践での形になりにくいものを形にする」ような営みだと思います。しかしそもそも,私たちの臨床現場で出会うクライエントは,苦しい人生を生きるなかで,自らのこれからのよりよき人生のために,自身の過去の体験や現在の心のうちを見つめながら発見的に言葉にしておられます。クライエントたちの創造的営為に伴走するお仕事をする我々が,研究という形で創造的営為を行うのもある種の必然のように思い
ます。平たく言えば,「クライエントもがんばって言葉にしてくれているから,私もがんばって臨床体験を言葉にしよう」という考えです(少なくとも私はそう考えて論文を書いています)。論文執筆は,苦しいけれども,自分の中での表現を見つける創造的過程です。手探りをしながら,しかし自分にとって確からしいと思える言葉を見出すために,事例研究論文を書いていきましょう。
文  献
東畑開人(2017)日本のありふれた心理療法─ローカルな日常臨床のための心理学と医療人類学.誠信書房.

著者略歴

山川 裕樹(やまかわ・ひろき)
成安造形大学教授。専門は学生相談,心理臨床学,描画検査,事例研究法研究。日本学生相談学会において,2016年から2023年まで編集委員を,2023年から2025年まで編集委員長を務め,また,日本心理臨床学会において,2020年から2024年まで編集委員を,2024年から副編集委員長を務める。京都大学教育学博士(題目「心理臨床学における方法論としての事例研究法─事例からの視点生成に着目して─」)。共著として,『学生相談カウンセラーと考えるキャンパスの危機管理─効果的な学内研修のために』,『学生相談カウンセラーと考えるキャンパスの心理支援─効果的な学内研修のために2』,『バウムの心理臨床』,『学生相談から切り拓く大学教育実践—学生の主体性を育む』など。

・本文・表紙イラスト:かたおかもえこ
・キャラクター原案:ミヤギナツミ
・キャラクター企画:森田存


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