ドクトルきよしの大ピンチ──いきなりかい

ドクトルきよしの大ピンチ──いきなりかい
著者長田 清
出版年月2025年6月
ISBN978-4-86616-220-1
図書コードC0011
判型四六判・並製
ページ数160
定価1,900円(+税)
内容紹介

「いきなり」その時はやってくる。
機上でキャビンアテンダントのアナウンスが聞こえてくる。
「お医者様がいらっしゃいましたら近くの乗務員まで」……。
のんびりと機内の時間を楽しむつもりだったのに。
が,そこはドクター。
精神科医と言えども出ていかねばならないが……。
また「大ピンチ」はやってくる。
突然大型バイクが滑ってこちらにやって来る……。
深い霧の中,無理矢理ゴルフがスタート……。
プレスリー歌えと言われて……。
突然のこむら返り,実は……。
一緒に世界一周と思ったのに東,西別々に……。
こころ臨床医,ドクトルきよしの,なぜかおかしなことばかり起こる日常のエッセイ。

主な目次
まえがき


いろんなことに巻き込まれて、大変ですねとか、人生ドラマチックですねなどと言われるけれど、当人としては大変なこともなく普通の日常なのだ。ただいつも、困ったことに遭遇するのは人一倍多いのかもしれない。その原因はわからないが、断れない、うまく立ち回れない、逃げ遅れるというのが要因として思い浮かぶ。(『いきなりかい』『何もしなかった』)

私は子どもの頃、ぼんやり、物ぐさ、ぐずなどと形容され、自分でもどんくさくて空想癖があると思っていたが、今なら「沈思黙考」という四字熟語で自分を弁護したい。しかし、矢継ぎ早に言葉を連射してくる母や姉に対して、うまく対応できず、適切な返事が浮かんで来るのが翌日以降になるので、結局黙ったまま相手の思うがままに従う事で生活は成り立っていた。(『三人の魔女』)

小学校でも中学校でも図書館にいることが多かった私は、児童書や世界文学を読んで過ごしていた。デュマの『三銃士』に、フランス国王の双子の兄弟が政争で鉄仮面をつけられて幽閉される話があり、引きこもりがちな私は自分のことを「鉄仮面」を付けられた不遇の王として一時期過ごしていた。中世の騎士物語に憧れ、役割演技(スキルを真似る)しているつもりだった。
一方、父は寡黙の人だった。表情は乏しく最低限の言葉で意志を伝えた。「メシ」「フロ」しか言わない。今思えば何のことはない、私はいつの間にか父に似ていただけだった。(『恩知らず』)

私の人生の二本柱は読書と音楽である。中学二年のとき、エルヴィス・プレスリーの映画と出会い、音楽の魅力に引き込まれた。母が映画館に勤めていたおかげである。その後高校、大学と私のライフステージに伴って、彼の映画や音楽が私の人生を彩ってくれた。(『プレスリーが行く』『ウクレレの愉しみ』)

高校に入ると倫理社会の授業の影響で、哲学思想に興味を持つようになった。ソクラテス、プラトン、エピクロス(快楽主義)、エピクテトス(ストア派)など。大学では流行のヘーゲル、ニーチェ、サルトル、マルクスを読んだ。知識にはなったが、私の免疫機能が拒絶したのか脳の中には入ってこなかった。精神科医になってフロイト、ユングが必須になったが、これも臨床に結びつかず離れていった。さ迷ったままである。(『霧の摩周湖』『セレンディピティ』)

しかし、人はなぜ生きるのか、幸せになるにはどうしたらいいのか、という哲学的課題に今やっと真摯に向き合えるようになった。日々患者さんから突きつけられる難問の答を一緒に探すようになって、一つひとつの小さな答が得られるようになってきているから。それで今、臨床が面白くなっている。(『ウソと盗み』『こむら様』)

今回は、患者さんの話ではなく、私のナラティヴ(物語)をお話しする。私の小さな答(生きる意味、幸せ)を共有したい。

著者略歴

長田 清(ながた・きよし)
精神科医,医学博士,長田クリニック院長。
徳島大学医学部大学院卒。林道倫精神科神経科病院,東京都立松沢病院,沖縄県立精和病院勤務を経て,2001年長田クリニック開院。
おきなわCAPセンター(児童虐待防止活動)の代表を務め,子育てやいじめ,教育の問題に積極的に関わる。
沖縄いのちの電話理事長,沖縄県精神科診療所協会副会長,沖縄エッセイスト・クラブ会長。
著書:「ウクレレきよしの歌謡医学エッセイ」(2018,幻冬舎)
   「ドクトルきよしのこころ診療日誌」(2022,遠見書房)


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