思春期心性とサブカルチャー──現代の臨床現場から見えてくるもの

思春期心性とサブカルチャー──現代の臨床現場から見えてくるもの


岩宮恵子

定価1,800円(+税),224頁,四六判並製
ISBN978-4-86616-208-9 C0011
2024年10月刊行

 

 

 

 

現代の思春期を生きる少年少女たちのこころの声を引き出す,まんが,アニメ,SNS,ラノベ,アイドルなどのサブカルチャー。子どもたちとの心理カウンセリングを重ねる中,話題に出てくる「サブカル」とその背景から,見えてきたいまどきの子どもたちの真の姿を思春期臨床の第一人者が読み解く一冊。『フツーの子の思春期』『思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界』のベストセラー心理学者が子どもたちのこころの世界を語る。


主な目次

第1章 魔法少女の破壊力─誰かの幸せを祈ったはずなのに、誰かを呪わずにいられない─
第2章 残酷だけど、泣ける─ひぐらしのなく頃に─
第3章 十歳前後の草食・肉食期?─『けいおん!』のキャラと関係性─
第4章 思春期の恋バナ
第5章 恋バナ・BL・関係性─フツーの子の腐女子化とその変容─
第6章 子どものこころに寄り添う
第7章 心を閉ざしている良い子
第8章 鏡の中の思春期 その一─『ハウルの動く城』の美と醜─
第9章 鏡の中の思春期 その二
第10章 協調と競合のアイドル─嵐は思春期を変えうるか?─
第11章 推しメンができるという社会性の獲得─AKB48の枠組と臨床的効果─
第12章 女子から見た「暴力」の魅力─不良系男子と優等生系女子─
第13章 時間に追われる子どもたち─クロノスとカイロス─
第14章 人間関係の失敗に敏感すぎる子どもたち
第15章 壇蜜とマツコ・デラックス─彼女たちの共通項─
第16章 季節はずれの思春期─ミタさん的家族の成長─
第17章 今、ここに生きる「私」はどこまでも拡散していく─SNS時代の青春─
第18章 「秘密」と「うそ」の裏側にあるもの
第19章 異界とムスビ」─新海誠『君の名は。』にはまる─
第20章 異性装のイメージ喚起力─欅坂のてちとマツコ・デラックス─
第21章 心のつらさはどのようにしてやわらぐのか
第22章 人格の着ぐるみ─ゆるくないキャラで学校を生きる─
第23章 マスクをすれば自分の部屋にいるような─『輪るピングドラム』の生存戦略─
第24章 思春期と喪失─『海のトリトン』から考える─


はじめに

スクールカウンセラーが派遣され始めた一九九五年から、学校現場で子どもたちと会う機会をもらってきた。当時、中学生として学校で会っていたクライエントと、思春期の子どもの親として再会することもある。あの思春期だった子が、もう思春期の親になっているのか! と驚く。

そのような時間の流れのなか、スクールカウンセラー先で会う子どもたちに、変化があるのか……と考えると、まず、相談の背景にネットの問題が存在する割合が年々増えてきていることがあげられるだろう。今は、ほとんどの相談の裏側にはネットの問題が潜んでいるといってもいいくらいだ。また神経発達症(発達障害)の傾向があるのかどうか、その場合の支援と理解の方向性について考えることが圧倒的に増えてきた。

 

そしていわゆる神経症的な悩みを抱えている子の割合が減ってきたように感じる。いや、そうは言っても家族のことや友人関係で悩み、自己嫌悪に苛まされ、自分のことをどう考えていいのかわからなかったり、実際にそれで症状が出てきたり……という子たちも、もちろんいる。そういういわゆるじっくり気持ちを聴くことが重要になっている子どもたちも変わらず存在しているが、それ以外の対応を求められることが増えてきているから、悩みをしっかり語る子の割合が減っているように感じるのだろう。

 

島根大学こころとそだちの相談センター(以下、相談センター)が私の臨床の中心であるが、そこでの来談者は、相談料金がかかることもあって、学校現場と違ってある程度は来談の意志がはっきりしていることが多い。それでもやはり来談してくる子の全体的な雰囲気は変わってきている。

 

その場その場での感情は動くものの、その感情についてあとで振り返ることができにくく、面接で継続的に積み上げていくようなプロセスが難しくなっている子も増えてきているのは確かだろう。客観的に見ると苦しい状況だと思うのに、本人は悩む気配もなかったり、たとえ困っていても何に困っているのかまったく言語化できなかったりする子も多い。

 

たとえば養護の先生などに、怒濤のように親への不満や友人の悪口を吐き出している子に、「だったらその悩みをスクールカウンセラーに話してみたら」と勧めても、「そんな人に、話すことないし……」と、断るパターンもよくある。自分のこころを大きく揺さぶるそのあれこれを「悩み」として捉えることをしないのだ。自分のなかに溜まった感情の灰汁を、その場ですぐに吐き出してしまうことだけがその子にとっては必要なのである。出してしまったらもう振り返らない。新たな灰汁はすぐに溜まるが、それをまた悪口として吐きだして終わる……ということを繰り返している子もけっこういる。また反対に、言葉にして誰かに救いを求めることなど決してできず、身を潜めている子もいる。このようなことの背景には、深刻な家庭環境が窺えることもある。

 

このような状況が増えてきているからこそ、面接室のなかでじっくりと話を聴くことよりも、環境調整など現実への働きかけが重視されるようになっているのだろうし、コンサルテーションに時間をかけた方がいいという流れが中心になってきている理由もよくわかる。

 

私自身がスクールカウンセラーとして学校に入るときにも、その子をどう理解し、どうかかわるといいのかという指針を先生たちと一緒に考え、共有してその子にとって一番、適切な環境を作っていくことを目標とする事例が増えてきている。相談センターの相談でも、相談者の周囲の人たちとのコンサルテーションが必要となることが増えてきているし、それをしないことには、まったくどうにもならないことも多い。カウンセリングのなかだけで、内的な問題に同伴していく場合ももちろんあるが、その割合は減っている。

 

では、子どもたちに会う機会が減っているのかというとそうではない。実際に学校現場にかかわっていると、その第一歩として、「ぜひ、まずは本人に会ってほしい」と子どもとの個別面接を設定されることが多い。そして、その面接での感触を踏まえたうえでの実践的な働きかけの手段を求められるのである。

 

こういういきさつもあって、コンサルを中心にと言われるスクールカウンセラー業務でも、けっこう多くの思春期の子どもたちと継続的に会うチャンスをもらっている。そして自分からの希望ではなく、強制的に面接に来させられてしまった子どもたちとも数多く出会っている。まったく悩んでなさそうに見えていたけど、実際、じっくり話してみるとさまざまな困難について自覚していて問題意識をもっていることがわかることもある。その一方で、「ほんとうは悩んでいるのにそれと悟られないように防衛しているのではないか」という読みがまったく通用しないタイプの子どももいる。解離しているのか、悩む力が育っていないのかは子どもによってそれぞれであるが、そういう子たちは自分の(一般社会通念から見ると不適切な)言動に対して制限や指摘を受けることがもっとも嫌なことになっているので、悩みといっても注意をしてくる周囲のオトナやクラスメイトに対する批判に終始することも多い。何度会って話を聴いても、いつでもどんなことでも全部、周囲が悪いことになり、内省とか反省とかの回路がなかなか生まれないこともある。

 

そんな子たちと会うときには、彼らが少しでも関心を持っているところからつながっていくという、思春期臨床の王道を進みながらなんとか回路を見つけていくしかない。道が閉ざされて困ったときには、やはり王道に戻るしかないよなあ……と痛感する。そしてそれは今現在の臨床でも変わりない。

 

しかしこちらがいろいろと関心があることとか、好きなことやものについて質問をしても、無理矢理、面接室に送り込まれてくる子たちは、「わかんない」「さあ……別に」「いろいろ」というような単発の言葉しか出てこないことも多い。関心のあるものについての話をさまざまな角度から具体的に質問していっても、一問一答での会話に終始し、火消しツボに言葉を投げ入れていくような広がりのない時間を積み重ねていくしかないこともある。でも、こちらがいろいろ聞いていくことを嫌がっているというよりも、どちらかと言うと、嬉しそうにしている様子からは、他者とちゃんと向かい合って話をする体験自体が少なかったのだろうなと感じる。この子のそばには、この子の話に耳を傾けようとする大人がいなかったのかもしれないなと思うこともある。

 

そんなコンクリートを耕すような臨床を繰り返すなかで、ほんのちょっとずつ生み出されてくる共有のイメージを追い求めていくことに全力をあげていると、やがて彼や彼女たちのなかに「興味のあるもの」「関心を強く引きつけられるもの」が芽生えてきて、そのことについて面接室で語られるようになることがある。自分が興味をもっていることについて初めて言葉にして伝えてくれた時の感動たるや……!さて、昨今は「推し活」という言葉が人口に膾炙し、「自分探し」よりも「推し探し」という様相を呈している。面接でも「推しはいる?」という問いかけをすると、スムーズに答えてくれることも多い。そして『サブカルチャーのこころ─オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』(笹倉・荒井編、二〇二三)など、面接場面で語られるアニメ、ゲーム、漫画などについて、臨床の視点から幅広く紹介している、すばらしく役立つ著作も出てきている。

 

ところでこの本の原稿の元になったものは二〇〇九年から二〇一八年まで遠見書房の『子どものこころと学校臨床』で連載されたものと、金子書房の『児童心理』に掲載された文章も加えている。当時の「今」を書いたものなので、先の『サブカルチャーのこころ』に比べると、話題が古くなっているのは否めないし、今の感覚からすると、少しズレているかも……と思われる部分もある。

 

でも、思春期臨床の根っこの部分は時間がたっても共通しているからと、遠見書房の塩澤さんと山内さんに励まされ、必要に応じて加筆修正を行い、その後も考え続けていたことや、何か付け加えた説明が必要な章の最後には、現在の視点からのコメントをつけ、掲載当時と「今」を少しでも結びつけるようにした。

 

ああ、そう言えばその話題、子どもから出てきたことがあったなあとか、自分もあの頃、同じようなことを考えていたなあ……などと思い出しながら読んでいただけたらと思う。そしてそれが今の思春期を理解しようとする方たちの気持ちを少しでも後押しするきっかけになればと願っている。

 

なお、事例として紹介しているものは、個人が特定されないように細部に変更を加えたり、いくつかの似ているところがある事例を合わせてひとつに構成しなおしている。

 

付  記

本研究は,インフォメーション・ディベロップメント・ホールディングス社からの次世代育成のための研究助成を受けました。

岩宮恵子


 

著者紹介
岩宮恵子(いわみや・けいこ)
鳥取県米子市生まれ
臨床心理士・公認心理師
聖心女子大学文学部卒業後,鳥取大学医学部精神神経科研究生を経て2001年島根大学教育学部准教授。2006年同教授。
2017年より島根大学人間科学部開設に伴い同学部心理学コース教授。
島根大学こころとそだちの相談センター長兼務。
1995年よりスクールカウンセラーとして小・中・高校に派遣される(現在に至る)。
京都大学 博士(教育学)
主な著書:『生きにくい子どもたち─カウンセリング日誌から』(単著,岩波書店,2009年)
『フツーの子の思春期─心理療法の現場から』(単著,岩波書店,2009年)
『好きなのにはワケがある!─宮崎アニメと思春期のこころ』(単著,筑摩書房,2013年)
『思春期をめぐる冒険─心理療法と村上春樹の世界 増補版』(単著,創元社,2016年)ほか多数

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